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ニュースレター(機関紙)

健康コラム―中国人の生活の知恵(6) 北京っ子の春節の過ごしかた
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健康、中国


健康コラム―中国人の生活の知恵(6) 北京っ子の春節の過ごしかた

北京グローリークリニック院長
朴順子

今年もはや師走を迎え、街を行く人の足取りも気のせいかテンポが速くなったような気がします。都内のあちこちの繁華街ではクリスマスの飾り付けをしたイルミネーションが夜の街に輝き、道行く人を呼び込む店員の掛け声も日ごとにボルテージが上がっていくようです。

来年は寅年、干支では庚寅(かのえとら、こういん)にあたります。「寅」は「虫ヘンに寅」(いん:「動く」の意味)で、春が来て草木が生ずる状態を表しており、後に、覚え易くするために動物の虎が割り当てられたのだそうです。いかにも大地に春風が吹きわたり生気が満ちてくるようで縁起がよいですね。

日本では新暦の正月を祝いますが、中国では一月元日が休みになるだけで、春節こそ本当の正月です。中国人は一年がこの日のためにあるといってもよいぐらいで、家族を離れて働く人はみな実家へ戻り、一家揃ってにぎやかに正月を過ごします。春節が近づくと、人々は飛行機や汽車あるいは長距離バスなどの帰省切符を手に入れるためにひと苦労で、政府も特別な措置を講じて帰省客の足の確保に努めています。


春節前のいちばん賑やかな場所――汽車の切符売り場

今回は少し趣向を変えて中国人の正月(春節)の過ごし方をご紹介してみます。ここに書いたのは北京っ子(“老北京”といいます)の春節風景で、中国の北の方ではおおむね似通っています。南の方へ行けば正月料理など少し違いもありますが大方は変わりありません。

師走八日(旧暦12月8日)の「臘八粥」は年越しの始まり
北京っ子の年越しは、“食”から始まります。
この“食”とは、“臘八粥”を食べることです。毎年、臘月初八(旧暦の師走八日)、北京っ子は“臘八粥”を鍋一杯煮ます。材料は主に豆、米、紅ナツメ、乾しぶどう、リュウガンなど、さまざまな雑穀とドライフルーツで、“五穀豊穣”の意味が込められています。
ドロドロになるまで煮てぷんぷんとよい匂いがする“臘八粥”は“八宝粥”ともいい、昔は“竈(かまど)の神さま”を祭るために供えられました。昔から“食を天と為す”【訳注①】という言葉がありますが、“竈の神さま”の地位はたいしたものです。

【訳注①】出典は中国の歴史書『漢書』のなかの“王者以民為天、而民以食為天”。“天”は、人智を超えた神のような至高無上の存在という意味で、「庶民は食べることが何よりも一番大事だ」となります。


北京っ子にとって、味よりも伝統をきちんと守ることがずっと大切な“臘八粥”。最初の一椀は“竈の神さま”に供えられます。


近頃は、自家製の粥を隣近所にお裾分けしてお互いに味見をし、それから家族で和気藹々と鍋を囲み“臘八粥”を味わいます。
“臘八粥”を食べ終えると、いよいよ年越しスケジュールの始まりです。正月料理用の食品を買い込み、新しい衣服を整え、正月用品を用意し、部屋を整理して、大晦日の年越しを待ちます。

この“年越しの合図”には実はもう一つの隠れた意味があります。蝋八節のこの日から、“金貸しは集金にとりかかり、借りた人は必ず借金を返済しなければならない”のです。こうして、金貸しには借金取立ての理由ができ、借りた人間は借金に気付かされることになります。駄々をこねて金を返さないなどとは通らぬ話で、遅かれ早かれ返さなくてはならないものなら、いっそのこと暮れの内に払いを済ませ、身軽になって新年を迎えるというものではないか、というわけです。

師走八日のこの日、北京っ子はニンニクを酢漬けにし、旧暦元旦に餃子を食べるときのツマミにします。これを“臘八ニンニク”といいます。
暮らしぶりは年を追う毎に新しくなっていきますが、この“臘八粥”と“臘八ニンニク”の慣わしは変わらず、今でも北京では盛んに行われています。

師走二十三日の“ウリ飴はべとべと”
師走の二十三日、いよいよ北京っ子の年越しの幕が切って落とされます。俗に言う“小年”――小晦日(こつごもり)――で、大年――大晦日(おおつごもり)――はすぐそこです。
この“小年”を指して、北京っ子は俗に“二十三日のウリ飴はべとべと”という言い方をします。“小年”の「年」と“粘(べとべと)”の「粘」の同じ発音(ニエン)を引っかけているのですが、“ウリ飴”とは麦芽糖でつくった瓜の形をした飴のことです。


なんと!“竈の神さま”も飴であやせるとは!口の中は蜜のように甘く、天に昇っても天帝の前では悪口を言いません。


師走の二十三日、北京っ子の家ではどこも“竈の神さま”を祭ります。すると、“竈の神さま”はすっかり愉快になり、天帝の前に進み出た“竈の神さま”は“口の中が甘さでいっぱい”、耳障りのよい褒め言葉ばかりを天帝に言上します。こうして飴を供えた家にはその年一年のご加護がもたらされ、一家は平穏無事に暮らせるというわけです。一説によると、ウリ飴は“竈の神さま”の口をくっつけるためのもので、べとべとの飴で口を封じられ一言も口がきけない“竈の神さま”は天帝の前へ出ても失言することがないのだそうです。

この故事から今も北京っ子の間に伝わるしゃれ言葉が生れました。曰く、「“竈の神さま”が天に昇る」――人の前では褒め言葉を多く言い、悪口は言わないもの。
どうです。この北京っ子の小憎らしいまでの周到さには“竈の神さま”もお手上げといった格好ですね。
この“ウリ飴”の“小年”が過ぎると、北京っ子の年越し気分はいっきに高まります。北京の民謡にも歌われるように、師走二十三日から正月元旦までの毎日、一日ごとにテーマが異なり、けっして遅れることも繰り返されることもありません。

“二十三日のウリ飴はべとべと、二十四日に掃除をし、二十五日は窓障子の張替え、二十六日に豚肉を煮込み、二十七日は雄鶏を絞め、二十八日に小麦粉を捏ねて、二十九日は饅頭蒸し、三十日(旧暦の大晦日)は夜明かしで、ソワソワ迎えるお正月元旦”



“二十四日の掃除”は大掃除のことですが、学生時代に床を掃いたり窓を拭いたりしたような簡単なものではありません。北京っ子たちは家の内も外も隅々まで念入りに清掃するだけでなく、年画を取り替え、壁を白く塗り、壁紙の貼り替えまでします。

“窓障子の張替え”の光景は、今では北京市内で見かけることもなくなりました。昔の四合院(旧市内の平屋の伝統家屋)はすべて木製の窓でしたから、正月前に白くてきれいな新しい窓の障子紙を糊張りしたものです。さらに障子紙の上に“福”の字や花模様の切り紙を貼り、“中国式吉祥結び”など平安無事を表わす手芸品を掛けます。

その昔、どの家も飾った深紅の光景を思い起こせば、往事の正月の賑わいは想像に難くありません。この日いちばん大事なことは、自分の家の門ごとに赤い紙に黒字(金色の字)で書いた“春聯”(めでたい文句を赤い紙に書いた対聯)を貼ることです。春聯が貼り出されると、一瞬にして正月気分が満ち溢れてきます。


“豚肉を煮込む”、“雄鳥を絞める”、“小麦粉を捏ねる”、“饅頭を蒸す”。こうした仕事が一日ごとに重ねられ、年越しのカウントダウンが進行する中、何ともいえない芳しい香りがあたりに立ち籠めます。その昔、まだ食事がまずしかった頃、豚肉の香りは言葉で言い表せない誘惑でした。これは私の子供のころの生々しい記憶ですが、今どきのダイエットを信奉する若者たちには理解できるかどうか分かりません。

北京っ子のきまりでは、これらの盛りだくさんの正月料理は必ず早めに作っておかなくてはなりません。というのは、新年と旧年が交代するときに刃物を使うのは不吉で災いを招くとされ、北京っ子のタブーだからです。刃物以外にも、はさみ針仕事もすべて駄目です。正月五日目が過ぎて初めて包丁を使って料理ができるようになります。
すべての用意が整い、雪が花びらのように舞うと、正月の到来です。




三十日大晦日の晩の“夜明かし”
旧暦三十日の大晦日は年越しの最高潮です。それまでの蓄えも準備も、まるですべてこの日の“お祭り騒ぎ”のためのようです。もっとも、万事に控えめで落ち着いた北京っ子は気取らぬ北京風の流儀で、この“お祭り騒ぎ”に浮かれることはありませんが……。
この日、北京っ子は飲み終えた漢方薬の煎じ滓を門外に放り投げ、自分の処方箋を燃やします。こうすると“万病を遠ざける”と言われています。

また、家ごとに酒宴を用意し、新しい服を着て、隣近所や親戚・友人が互いに年末の挨拶をしに訪ね、年下の者は年長者に叩頭の礼をします。これを“辞歳”といいます。とくに新婚夫婦は妻の母を訪ね“辞歳”しなくてはなりません。さもないと礼を弁えない親不孝者ということになります。

除夜の晩、北京っ子は他の地方と同じに、除夜の晩餐と夜明かしで一年の締めくくりをします。
正統な食べ方では、北京っ子の除夜の晩餐は午後6時から始まり、ずっと真夜中まで、甚だしきに至っては夜が明けるまで続きます。ですから、北京っ子の除夜の晩餐を“宵越しのご飯”ともいい、食べ残すと“毎年余り(蓄え)ができる”とされます。(「余」と「魚」は同じユィという発音)
ギョーザ作りは大晦日の大仕事です。家族みなで輪を囲み、皮を伸ばす人も、具を皮に包む人も、それぞれに行く年を振りかえり、来る年に思いをやって、笑い声がさんざめきます。

北京っ子のギョーザには寓意が込められています。過ぎ去った年のすべての恩と仇、悲しみと喜び、幸と不幸はすべて大晦日の晩にギョーザの具となって皮に包まれ、鍋に入れて煮られます。茹であがったギョーザを一口で食べれば、すべてが雲散霧消してしまうのです。新しい年には身も心も軽くなって、すべてが再び始まることになります。除夜の晩のギョーザには、肉が入らない野菜ギョーザが必ずなくてはなりません。神様とご先祖様に供えるためです。

もちろん、ギョーザは馬蹄銀(清末まで使用された貨幣)の形で、食べれば金持ちになるとされることは誰でも知っている寓意です。今でも北京っ子はギョーザの具に銅銭を入れて皮を包む習慣があります。銅銭を噛み当てた途端、何ともいえない幸せな気分になります。


爆竹の音が響き、旧年に別れを告げます


真夜中の12時、ほのぼのとした空気に包まれた北京の街には、例によって鐘楼と大鐘寺から新年と旧年の交替を告げる鐘の音が鳴り響いてきます。鐘は柔らかな艶のある音色を響かせ、爆竹はパンパン鳴り、ギョーザが茹であがり、行く年と来る年が行き交って――さあ、夜を徹しての年越しです。
夜明かしの年越し、家族そろって炉を囲み、料理に箸をのばし、酒を酌み交わし、乾し果物をつまんで四方山話に花を咲かせる団欒が夜を徹して続けられます。春まだ遠い日、肉親同士の濃密な時間が新年の夜を流れていきます。

“新年おめでとう”

ソワソワ迎える正月元旦
夜を徹して年を越し、夜が明けてもまだ寝ることはできません。顔をきれいに洗い、きちんと後片付けをしたら、年長者へ新年の挨拶をし、叩頭の礼でお祝いの言葉を述べなくてはなりません。
旧暦元旦は子どもがいちばん好きな日です。このお辞儀と叩頭の礼を繰り返すたびにお年玉のお捻りが貰えるのですから。私の小さいころ、隣の家の子どもは会う人ごとにお辞儀し、人はと見れば叩頭の礼をいとわず、経済観念がすこぶる発達していました。たとえ叩頭のせいで頭皮が破れても、経済観念の詰まった頭はたいしたものです。後にはやはり経済学者になりました。
新年の始まりです。子どもたちが新年のお捻りを開ければ、ワクワクするような一年の幕開けです。

当節の北京は古さと新しさが融けあう国際都市に変わりました。近代的な息吹がますます濃くなるのと引き替えに、どっしりとした伝統的な風俗習慣はますます薄れていくようで、ちょっぴり寂しい気がするのは私だけでしょうか……。





◇編集部より◇8月よりコラム「中国人の生活の知恵」を開始しました。中国四千年とも五千年とも言われる長い歴史の中で培われた先人の深い知恵と最新の医学情報に基づいた、日々を健康に過ごすためのアドバイスをお届けします。読後の感想、意見、質問および今後取り上げて欲しい話題のリクエストなどを受け付けます。
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