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ニュースレター(機関紙)

北京の街角から~中国医療現場からの報告~第10章「中国のエリート医師の巻」
NL08110104
医療情報、中国


北京の街角から~中国医療現場からの報告~第10章
「中国のエリート医師の巻」


北京天衛診所顧問歯科医
中華人民共和国 歯科認定医 田中健一

現代の若きエリート中国人医師の生態というものはなかなか日本には報道されません。文化大革命では辺境の地に放逐の憂き目にあい、都市に戻ってきても、充分な知識を提供されぬまま病院の第一線に投入されてきた世代を横目に、一人っ子政策のもと甘やかされて育てられたこの世代は競争に勝ち残ったという自負と、首都で働いているという優越感を合わせ持った人種と私は見ています。そして、この世代がさらなる飛躍として考えていることは、外国の知識をてっとり早く吸収すること、さらには外国に留学することです。

北京の首都医科大学**科は、この大学病院の数ある診療科の中でもお金持ちの患者が集まることで有名です。患者の増加とともに治療室が拡張、整備されてきました。その大学に学術交流と銘打って定期的に講義に訪れているのがS教授です。この先生は東京医科歯科大学**科主任教授として日本の矯正界において隠然たる影響力を誇っている先生です(この教授の前では古参の医局員ですら畏まっている、アホな話をしに教授室に行くのは帰国した私くらい)。

ちょうどS教授が首都医科大学を訪問していると聞き、私も講義を聞きに行ってきました。といっても目的は決して講義を聞いて自分の知識の幅を広めようとするものではなく、ただ単に知り合いの先生が来るから教授に会いに行こうという単純なものでした。講義では私のような専門外の人間には大まかな話はついていけるのですが、細部となると理解できないことが多々ありました。会場にはこの分野を専門にする首都医科大学のスタッフが20名程度聞きに来ていました。

さて、お昼が近づくにつれ講義の終了が今か今かと待っていた私は、教授が「これで午前の講義を終わります」と言った時、拍手をしながらも、どう目立たない形で先生に挨拶に行こうかと考えていました。すると、まだ教授がちょっとしたコメントを言い終わらないうちに講義を聞きながら拍手もしないで席を立つ首都医科大学の先生が続出したのです。もちろん行き先は診療室ではなく食堂です。早くいかないと混んでしまうから先を急ぐのです。
私はクラシックコンサートなどで拍手もしないで席をたつ人間が多いのは経験していますが(これで驚いていたら中国ではクラシックコンサートは鑑賞できない)、首都医科大学のようなエリートが集う、さらには全員が博士課程をでていて、国のトップエリ-トと自負している人間が集うこのような場で、海外から講義をしにきてくれた先生の講義に対して拍手もなしに出ていくことに違和感を覚え、その光景に唖然としたのです、というのは日本なら招待講演に対してはそれ相当の礼をもって接することに私が慣れていたからです(たぶん皆さんもですよね?)。

私なりにこの行動を考察した時、それ相当の報酬で講義をしてもらうため先生を傭っている場合には、聞き手は雇用主ですから拍手もなしに出ていく態度は(個人的には)許容できます。しかし、航空運賃からかかる費用をほぼ手弁当で純粋に学術交流のために来てくれる先生の話に対して拍手もなしに出ていくとは、この国のエリートは無礼も甚だしいと憤慨したのです。そして、これこそが中国の後進性の顕著な例であると感じました。

私はS先生への挨拶もほどほどに、自分が見た光景に対する鬱憤を先生に対してぶちまけました。拍手もなしに出ていくとは演者に対して失礼も甚だしい、講演に対しては拍手する、だってここにいる人ってエリートじゃないの、そんなこと国際基準だよ、と言ったのです。そして、私はこの中国人医師の態度に対して何も言わないS先生に対しても「先生、こんなんで良いんですか?日本だったらこんなこと許されませんよ、先生はよく我慢できますね。日本で先生はこんな仕種を許しているのですか?」とまくしたてて言ったのです。先生は「まあ田中君、そうかりかりするな」と言い私を嗜めたのですが、私の怒りは中国のエリートから自分の国、日本を冒涜されたように感じ食堂へ向かう階段でもテンションをあげていたのです(ちなみに私に名付けられたあだ名は’社会主義思想を持った右翼’=妙に言い当てている)。

といってもあまりに私が激怒していてもしょうがないので、ある所で中国はこんなものだと自分をなだめ、S先生に「お昼でも一緒に如何ですか?」と誘ったのです。先生は「これから自分を呼んでくれた首都医科大学矯正科の主任(教授)から呼ばれているから」と言って私の申し出を辞退したのです。私もではまたの機会をということで、その場を辞してカリカリしながら診療所へと戻ったのです。

<後日談>
その後、 私はふらっと東京医科歯科大学に行った時、S教授を訪れてみました(例によりアポもなく)。すると教授は「ちょっと話していないかい?」と言って私を教授室に誘ったのです。以下教授が話してくれたことは私の中国理解に対して大きな助けとなりました。

私が大学を辞したあの後、S先生は首都医科大学矯正科の責任者達と昼食を囲みながら、私の言った言葉を円卓の一同に披露したというのです(えー、それ言っちゃったの? あの発言はオフレコだよ、オレ、この首都医科大学で悪者になっちゃうじゃない)。つまり、日本でなら招待講演の始めと終わりには必ず拍手をするものなのに、北京ではしない、文化を超えてなんて失礼なんだ、と言いながら帰っていった日本人(つまり私)がいたと話したのです。何気ない文化比較としてS先生は紹介したのですが、首都医科大学矯正科の先生達の態度はその一言を境に一変したのです。

午後からは実際にS先生が各診療室にある治療台を回り、患者を治療する主治医に対して治療のアドバイスをしたのです。すると、各診療台にS先生が行くと必ず主治医が患者を前にして拍手をしだしたのです、そして、教授の話が終わるとまた拍手をするのです。次の診療台に行っても同じことが起こりました。そして全ての診療台にて先生が話をする前と終わった後で拍手が起こったのです。

S先生ははじめなぜ1人1人の主治医から自分の言ったことに対して拍手がでるのか理解できませんでした。そして考えたのです、首都医科大学矯正科の責任者が、S先生が話をする前とした後に日本では拍手をする習慣があるからそうしなさい、とスタッフに伝えたのではないか、そう考えると合点が行く。そしてその拍手も自分で考えることなしに言われたまましているだけ、素直というか単純というか。現代中国のエリートの一面を写し出していると思いました。

さらに主治医から出される質問も美容に関することが多く、この分野への関心の高さを窺わせましたが、要は金になることを優先しているのです。

結局、文化の違いといってしまえばその通りですが、自分で考えること無しに言われたことをそのまま実行しているエリートであってよいのかどうか、中国論のひとつとして理解してもらいたい一件でした。でも拍手に対する世界基準はどこにあるのか考えてみても面白いですね。私自身も拍手のあり方がわからなくなりました。

そういえばオリンピック委員会(IOC)の役員がまだ北京が立候補段階の時、北京を訪問した際、この町は緑が少ない、と総括したのです。すると北京市政府(陳書記、汚職によりすでに逮捕)は道路の壁から鋪道から目につくものをなんと緑色のペンキに塗り替えてしまったのです。今でもその残骸を北京市内で目にすることがあります。これも額面通りに受け取る中国人気質を反影していると言えます。

さて私が教授とのたわいもない雑談を終え、部屋から出てくると、教授室の外ではこの医局の医局員が、教授の講義の打合せをするため私の雑談が終わるのを待っていたのです、なんか私も急に日本の文化に入った気がしました。


○北京の裏道から~張さんは250元の自転車(1元=15円)

お手伝いさん(阿夷)の次に給与の安い診療所職員は、歯科で働いている張さんです。彼女は北京で働いている兄と姉を頼って北京に出て、診療所で働く機会をえました(中国って一人っ子政策ではなかったっけ?と思う人には別の章でからくりを紹介します)。彼女は福健省の農村出身(外地人という)であることから、北京出身の趙さん(張さんが入るまでは彼女が給与が安かった)から、ことあるごとに辛く当られています(基本的に北京人は北京以外から北京に働きにきている人間を外地人と言って蔑む)。
確かに一緒に仕事する日本人から見ても仕事はのろい、ミスもよくある、学歴も低い(日本人にとっては学歴より今の自分の職務遂行能力を評価するけど=と私は信じるし私はそうしている=、中国では学歴がものをいう)のです。

趙さんなどは肌の色も私の方が白い、といいます(中国社会でも白い肌には憧れがあるようだ、ちなみに私は農家出身であることもあり、診療所の誰より肌が黒いから、私の前で肌の色はタブーになっていると、婦人科の柳先生が遠慮がちに教えてくれました。え?そんな話があったの、オレは北京で働く上で肌の色なんて全然気にしてないのに・・・)。
はじめて日本人診療所で勤務する中国人スタッフは、私の肌の色の他に、私が農村出身、服はよれよれ、セーターには穴があいている、靴は汚れている、そんな私が日本人トップとしての中国人があこがれの外資系診療所の医療顧問をしていることにとても驚くそうです。さらに驚くのは、そんな農民出身の人間が3つの言語を操り二国間ではなく、マルチ国家間で動いていることなのだそうです。

さて、中国人スタッフから彼女の評価を聞くにつけ、中国側経営者としては彼女をクビにしようと考えています。しかし、私は、何かの縁で張さんと一緒の職場にいるわけなので、皆で一緒に仕事をしていきましょうよ、と彼女と一緒に働いている歯科の2人の先生にも説明し、先生達も同じ意見を持ってもらっているので、彼女のクビは考えていないと執行部にも話しています。100人の職員の中、たった5人しかいない部署で収入の1/3を出している中において、現場からの提案(給与の安い職員の去就は現場に任せる)に対しては現場に決定権を委譲するのが、中国のできる組織のルールです。

張さんを解雇し、もっと優秀な人間を採用すればもっと発展できるのに、と忸怩たる思いを執行部は持ちながらも、日本人スタッフからここまで強く言われて、たかだか安いスタッフの去就を巡り、金の卵を生む鶏(日本人医師)とことを構える気はありませんので、張さんはクビにならず毎日勤務できているのです(ちなみに張さんは私達日本人医師達がいろいろ根回しして彼女の雇用を守っていることは全くわかっていない,その鈍さも彼女の特徴で私達は微笑ましいと感じるのです)。まあ、執行部としては、まったく日本人医師は何を些末なことにこだわっているんだか・・と思っているに違いないのです。

そんな彼女が北京に来て1年、彼女は自転車という大きな買い物をしました。自転車があれば、バスに乗らなくてもいろいろな場所にお金をかけずに行けるから、行動範囲が格段に広がります。彼女は仕事が終わった後、新しく買った自転車を押しながら外にでかけようとしているまさにその時、偶然、私と会ったのです。私も外にでる用があったので自転車を押していたのです。

私が「どこ行くの?」と聞くと「図書館に行く」と言います。そして、張さんは「これいくら?」と私の押している自転車を見ながら聞いたのです。私は「150元」と言いました。そして張さんに「いくら?」と聞くと「250元」と言います。そして、張さんはニコニコしながら、「私の自転車の方が良いね」と言ったのです。私は「・・・・」でした。

このことを話題にI先生と夜の会食を一緒にしながら「オレだって、はじめは4000元の自転車を・・」と言いかけたところで。I先生がすかさず「田中先生、その言葉を言ったんですか?」と聞いてきたのです。私は「それを言っては彼女をがっかりさせるじゃない、だから、そうだね、張さんの自転車の方が私のより綺麗だしカッコ良いね(これは事実、私のは中古で買ったものだからホコリだらけで、カギをかけていなくとも誰も盗まない代物)」と答えたのです。
すると、張さんははにかみながらも「北京という街には大きな希望が詰っている、ホント北京にきて良かった」と言ったのです。さらにそれに続けて「田中先生も頑張って働けばもっと良い自転車を買えるようになるから、頑張りなさいよ」と逆に励まされてしまったのです。
診療所では一番虐げられていても決して挫けない、なぜなら、どんなに苦しくとも北京にいることができれば、多くの働く機会があり、もっと豊かになれる、北京はこの豊かさを可能にしてくれる街だということを張さんは知っているのですから。

後日談 私が高級な自転車に乗らないのは窃盗による紛失が相次いだからです。4000元もする自転車はレストランの駐輪場においてわずか10分でなくなりました。2000元のマウンテンバイクも買って1週間でした。買えば盗まれ、盗まれては買う、こんなことをくり返したら、もうカギをかけていなくとも盗まれない、廃品回収ですら持っていかない自転車に落ち着いたのです。


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