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ニュースレター(機関紙)

北京の街角から~中国医療現場からの報告~第6章 災害医療編 四川現地レポート
NL08050104
医療情報、中国


「北京の街角から~中国医療現場からの報告~第6章 災害医療編 四川現地レポート」


北京天衛診所顧問歯科医
中華人民共和国 歯科認定医 田中健一

 「私がイメージしている被災地と違う。」今回の調査の結論はこれにつきます。今回、四川を襲った地震で私の属している日本人診療所として被災地にできることは何かと考え、震災が1週間が経過した5月20日に22日までの予定で成都に入りました。この時期は被災で怪我などをした人が救急医療から安定期に入ります。私は仮設の診療所などを通じ現地社会のお手伝いをすべきだと考えたのです。さらに、日本からの援助物資の一時保管場所として診療所を提供することも可能なのではないかと考え現地に入ったのです。

 とはいえ、被災は四川省全域のみならず、近隣の地区でも被害が広がっていました。私達日本人には理解が難しいのですが、四川省の人口だけで1億人にも達しその多くが被災しています。つまり日本人全体が被災者である計算になります。

 古来、四川という土地は三国志で有名な劉備、諸葛孔明、関羽、張飛、趙雲が活躍した地です。そして「蜀道難、難以上青空(蜀の道は山道であるため通るのが難しく、天に登るより難しい)」と詠まれています。

5月20日

 被災地が広大な場所に及んでいるため、成都国際空港に着いた時、私はまずどこを調査に行けばよいのか迷いました。北京でのニュースは被害が甚大であること、震源地が成都から200km離れたブン(さんずいに文:以下同様にブンと表記)川県であることなどです。中国を始めとし日本を含むマスコミはその多くが都江堰か北川、ブン川で取材をしていることが、送られてくるニュースでわかります。

 まず、私は空港から30分の位置にある四川省の省都である成都市に向いました。市内には物資を満載したトラックが多く目につき、被災民が避難していると思しきテント村も多くバスからの車窓にありました。しかし、バスをおりて成都市内を歩いてみると、街は安定していると私の目には思えました。被災民が自分達で用意したテントの中でトランプやマージャンをしている姿も少なくなかったからです。商店も開き衣食住に必要な物資も手に入りました。

 そこで私は成都を出て被害は大きいものの、マスコミが入っていない場所(援助隊も少ないはず)を現地の人の話などから聞き、彭州市(成都から西北に1時間のところにある町、峠をこえれば震源地であるブン川県)に向かいました。彭州市は風光明美な地であるうえ、パンダの生息地としても有名です。ここは人口が80万人の街です。報道によるとこの市でも1000人の単位で死者がでたとのことですが、市内は店は閉っているものの人々の生活はその顔つきなどから落ち着いているようにみえました。

 ホテルは100元(1元=16円)もしないのにインターネットも通じていました。市内の大病院である人民医院(ベッド数400)と同一医院(ベッド数150)にも行きましたが、重篤な患者はすでに成都に送ってしまったので、落ち着いていると外科の主任は私に教えてくれました。地震発生から3日間は廊下どころか玄関の外まで怪我をした人が溢れ出ていたと教えてくれました。この町は日本でいえば新興住宅地であり、新築のマンションが多いため、震源地から数10kmにもかかわらず倒壊している建築物はほとんどありませんでした。わずかに病院のレンガ塀が崩れている程度の被害です。病院のスタッフは平地では地震の影響は軽微であること、被害が大きいのは小魚洞、龍門鎮など山あいの村々であることを教えてくれたのです。つまり平地部ではお手伝いは余っていることを教えてくれたのです。

5月21日

 次の日、私は昨日聞いた小魚洞、龍門鎮という人口数万人の山あいの町に行きました。ここに来ると病院のスタッフが話してくれたとおり様相は一変しました。私の見た限り一つの建物(それがガラス張りで作られた共産党の事務所)を除いて全ての家が崩壊していました。至る所に人民解放軍の駐屯地が架設され、軍の車が行き交い、重機を使って道路を復旧させていました。さらに、ブルドーザーが崩壊した家々を片付けている光景がいたるところでありました。しかし、物資は莫大にあり、人も大量に投入されていました。また、被災した人々の顔に悲愴感がないことに大きな違和感を私は持ちました。この人々の表情の違いが神戸震災を垣間見た私にとって整理ができない点でした。そして朧げながらみえてきたことは、家が崩れ落ちたとしてもすぐにレンガを積んで再建できることが大きく関係しているのではないかと考えたのです。家は壊れていても、畑にでて植えつけをしている農民の姿もよく目にしました。

 さらに、マスコミが少ないと思って入った町でしたが、ここにも(中国の)マスコミが大挙して入っており、感動的な映像を所かまわず求めてシャッターを押しています。もともとプライバシーがない国であることを感じていましたが、被災民が映像の対象になってしまうとは彼等・彼女等にとっては二重の苦しみではないかと思ったのです。他の地域から集められた人民解放軍が道路の復旧や倒壊した家屋の整地を行っていましたが、ある部門は被災した子供達に勉強を教えはじめました。ここでも軍関係の報道関係者が子供を対象にキャンプの中で多くのフラッシュをたいていたのです。こんな時は静かにしておいてほしい、と思う気持ちは万国共通と思います。私にとってやりきれない光景でした。

 ボランティアも被災地に続々集結していました。この日、私が最後に訪れた地区は人口わずか500人の村でしたが、ここにもボランティアによって仮設された簡易診療所ができていて、支援物資として送られてきた医薬品を村びとに提供していたのです。それもボランティアスタッフは1人や2人ではなく、なんと医師、看護師をはじめ20人もいたのです(なぜか劇団の俳優という人もいた)。このような光景をみるにつけ、ホントに支援が必要な人はほんのわずかであり、多くの人は自助努力により回復に向け進んでいると私は思いました。この視点はここにくるまではわかりませんでした。そして、今の四川に医療の提供をしたいと考えている私達の入り込む余地はないと私は結論づけたのです(人も物資も足りている)。

 あくまでもこれは私が訪れた狭い地域の見聞であることをお断りしておきますが、被災地は地震発生から1週間が過ぎた時点で物資・人も足りており、報道されている姿とは乖離があるのではないかと思いました。9割は落ち着き、1割がまだ混乱の渦中にあるというのが私の実感です。現場の10割が混乱と考えると現実を見誤ると思います。偶然、北京からの機内で知り合った韓国人ボランティアの人々は、被害の大きさを報道されていた都江堰に向いましたが、電話で「この町で調査したけど、すでに軍や多くの援助団体入っていて必要とされていない」ことを私に教えてくれたことから、この考えを強くしました。

 なお私はカメラを持参しなかったわけではありません。しかし、度を過ぎた報道姿勢があることに、自分は被災者や被災現場にファインダーを向けてはいけないのではないかと考えました。よって被災現場を北京の診療所のスタッフに報告する必要はありましたが、被災地の写真は一切とらなかったため、皆さんには一部伝わりにくい点があるやもしれません。しかし、日本の基準で考えると物事を見誤る、ということだけはいえます。



写真は、空港で見かけた天津からボランティアにきていた医療団です。
旗を作り軍服まで用意しインタビューに答える有り様には日本のボランティアとの違いを感じました。


○北京の裏道から~オリンピック狂想曲 音楽観賞

 北京では年間を通して多くのクラシックコンサートが開催され、公演に値するコンサートホールも完成しています。各国政府は中国政府と良好な関係を構築するために親善を目的とした文化交流に力を入れています。文化交流の手段の一つとして、自国の管弦楽団による中国公演があります。公演は主に北京、上海、広州などの都市で開催されるのですが、(他の都市はわかりませんが)来訪した交響楽団は北京公演において北京の聴衆から強烈な洗礼を浴びせられます。今日のお話しは今まで私が何回か聞きに行ったクラシックコンサートでの経験です。

 世界レベルの名だたる交響楽団で私が聞きにいったものはチャイナフィル(中国で最も有名な交響楽団、ここのピアニストは欧州ピアノコンクール金賞受賞)、フィラデルフィア管弦楽団、パリ管弦楽団、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団があります。どの北京公演でも共通していたことは会場が満席にならないことです。北京でもダフ屋がいますが日本のダフ屋のように高値では販売しません。ダフ屋は窓口で購入するより安い値段で販売する弱者の味方?なのです。さらに開演真際までの時間に比例して販売価格が下がります。

 ある時、私は診療所の有賀先生を誘ってモーツアルテウム管弦楽団(ザルツブルク)の演奏を聞きに行きました。有賀先生はこんな有名な交響楽団だからチケットが売り切れてしまっては後悔すると言い、30分も前に会場に到着してしまったのです。そして、私に早くチケットを購入しておこうと言います。私はそんなもん開演の5分前で十分だよと言うのですが、有賀先生は気が気で無いらしく「こんな機会滅多にないから、もしなくなったら困るから早く買って下さい」と言います。私は「まだ開演20分前だから値切り切る自信ないなー」と言いながらダフ屋と交渉したのです。そして、380元のチケットを2枚買うんだからと言って1枚40元にしたのです。額面のほぼ1/10になってしまうと皆さんは感じるでしょうが、病院スタッフに言わせれば5分前なら2枚で40元が相場(名門交響楽団の生演奏が喫茶店のコーヒーより安い)だそうです。唖然・・・・。

 さて、演奏が始まるとそこにはいつもの光景がありました。聴衆は7割の入り、服がラフなのは当たり前(スーツなんか着ている方が場違い、欧州でも後ろの席はラフな人がほとんどだから)です。でも冬などに聞きに来ると防寒着を脱がないまま(中には毛糸の帽子をかぶったまま)演奏を聞いていて、文化が違うなーと思うのです。さて、服装なんて可愛いものです。一般の日本人をして唖然とさせられるのは、演奏中に携帯電話のカメラで撮影したり(フラッシュをたいている)、階段を子供が上ったり降りたりしてちょろちょろしている(託児所もないからいたしかたない)。挙句の果ては、演奏の途中に携帯電話の電子音が鳴り響くのです。そして、当然のごとく電話で話している光景には係員は何をしているんだ、と怒鳴りたくなるのです。

 周りを見渡すとペットボトルを持ち込みお菓子と一緒に飲んだり食べたりしている人もいます。ポリポリと音を立てながらうまそうにナッツを食べてられたりすると、私も何か食べようかなーという誘惑に駆られるのです。つまり、北京でクラシック音楽を聞くのは映画を見るのと同じ、ピクニック気分なのだということがわかってきたのです。私は、おいおいこれじゃあ世界的な演奏会が台なしだよ、と思いますが、良いか悪いかは別にしてこれが今の北京の芸術観賞だと思うと、かりかりする私のほうが、「郷に入っては郷に従え」に反していると認識させられるのです。日本の小学校の学芸会でももっとお行儀が良いよと思います。かく言う私達も380元という最も安い二階席のチケットで中に入りながら、後半は1階の中央列の880元の席にしっかり移動したのです。本来なら中国でも1万円を超える席に500円で入れてしまう、なんともすごい音楽鑑賞です。

 極め付けは、聴衆は演奏が終わりそうになるとポツポツと席を立ちます。そして終了時には拍手もそこそこに3割は席を立ちました。なんか真面目に拍手しているのがアホらしくなります。見るものは見ちゃったからもう帰ろう、客はオレだし。こんな考えだと思うと妙に合点がいきます。「日本のように余韻に浸るなんてことはないんだー」という有賀先生の言葉が印象的でした。

 拍手をしていた聴衆が立ち去った後には数十本のペットボトルが散乱していました。有賀先生と私はこのペットボトルやゴミを集め、ゴミ箱に入れて会場を後にしたのです。ゴミのポイ捨ても今の北京の文化です。そしてタクシーがすっかりいなくなったコンサートホールからトボトボとバス停まで歩いて、家路に向かったのです。

 いみじくも有賀先生が私に言った言葉「380元のチケットを40元に値切り、席は勝手に値段の高い前の席に座る田中先生も凄いけど、北京人はもっと凄いや。でもこれじゃあ、いくら名演奏を聞いてもスパークリングワインと同じで心に残るものがないね」が今の北京の芸術観賞の姿をそのまま映しているのです。まさかこれと同じことがオリンピック観戦でも繰り広げられたとすると・・・・・

(注)1元=16円


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