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ニュースレター(機関紙)

北京の街角から~中国医療現場からの報告~第5章 中国における医療従事者の養成形態編
NL08040104
医療情報、中国


北京の街角から~中国医療現場からの報告~第5章 中国における医療従事者の養成形態編


北京天衛診所顧問歯科医
中華人民共和国 歯科認定医 田中健一


以下の事柄で正しいのはどれでしょう?
・中卒でも医学教育を受け医師になることができる。
・患者を診察することができない医師がいる。
・医師免許を有していても勤務できない病院がある。
私は全て誤りだと思っていました。もちろん日本の制度では全て誤りです。しかし、中国の医療法においては全て正しいのです。中国の医療を制度的に理解しようとすると医療従事者の養成機関のことに必ず話がおよびます。

<医療従事者になるために>
 医師なら医学部、看護なら看護学部、薬剤師なら薬学部を卒業し全国統一の国家試験に合格すれば医師、看護師、薬剤師の資格が取得できるのだと私は思っていました。さにあらず!

 中国の都市部においては、日本における高校(普通高中)を卒業後、医師,歯科医師は本科(総合大学,専科大学)、看護師,薬剤師,検査技師は専科(職業短期大学)に入学します。日本人の医療従事者にとり理解を困難にするのが、医学部には5年制と7年制の2つのコースがあることです。医学部の教育年限は全国津々浦々6年と決まっている日本の経験からすると、とても奇異に見えます。しかし、エリート養成の見地からすると、大学の入学の時点で7年制のコースに入学したものには卒業と同時に修士の資格を与え、幹部候補生としての位置付けをするのは理に叶っているようです。7年制のコースを有する医科大学は狭き門で大都市の名門大学にあるのみです。

 一方、農村部においては制度が濫立しており免許の混在があり、理解が非常に困難です。郷村医生と称される医師は、医科大学を卒業せず病院で実地訓練を受けた後試験に合格した医師です。「医師になるためには医学部を卒業しなければならない」と教典的なことをいっていたのでは現場が立ち行かなかった時代もあり、今だにその名残りといえます。看護師においては今ではわずかになりましたが、小学校卒業後、3年間の職業教育を受け看護師資格を取得する制度も過去にはありました。

 統計でみると病院に勤務している医師のうち、医科大学を卒業しているのは2006年の統計で42.6%であり、半数以上は医科大学ではなく高校卒業後に入学する専門学校や中学卒業後に入学する専門学校で医学を勉強し免許を取得したのです。免許制度ができたのが1999年であるため、地域のニーズに合わせた形で医療資格が作られていたといえます。
 
<医師の枠組み>
 「医師であれば患者を治療することができる」、日本では当たり前のことです(治療に従事しない医師はあえてしないわけで、治療をする資格は有しています)。中国では、治療に携わるものの診断をすることに制約のある助理医師(専科卒業の医師)、や医療政策の立案や保健衛生に関与し治療をすることはできない公衆衛生医師という制度があります。同じ医師であっても、業務の分担が非常に明瞭になされているのが中国の資格と言えます。

<勤務先>
 医療免許を有している医療従事者は当人が希望すれば「どこの病院でも勤務する資格がある」と私は思ってきました。実際は大都市では通用しない医師免許や看護師免許があり、農村でしか勤務できない医療従事者も少なくありません。

 また、黒龍江省の看護学校は入学試験に身長160cm以上と規定している学校もあります。こんなことを日本ですると大問題になること必定ですが、中国では免許の他に容姿までが病院勤務の審査項目になっており、私のいる病院の中国人スタッフはそのことを否定的に捉えてはいません。

 都市でも農村でも学校を卒業し、免許があり、実力が伴っているのなら、どの病院で働いても良いんじゃない、と個人的には考えるのですが、中国人は全くそのようには考えません。

 ある時、学校は出ていなくとも門前の小僧なんとかで、その後の努力によりたくさんの経験をつみ技術を獲得した医療従事者なら、私が籍をおく外資系の病院でも勤務を前提に就職面接をするに値するのではないですか?と中国側に具申したことがあったのですが、一笑に付されました(地方出身者は書類選考にも上らない厳しい現実があります)。都市部の医療従事者は都市部から離れず、農村部の医療従事者は都市部では雇ってもらえない、生まれが自身の全てを規定するようです。出身が階層を産み繰返される典型例をみた思いでした。

<日本との相違>
 中国の免許制度を垣間見ると、医療へのスタートラインが違っても地域のニーズに合致するのであれば国の医療免許制度が一つである必要はないのではないか、と考えるようになりました。分権を指向する日本は医療免許において全国共通であり、中央集権を指向する中国では医療免許が地域に分権されている、そんなねじれ現象が日中の間にあります。どちらが合理的な制度か判断は難しいですが、これが14億人を抱える中国が試行錯誤の上、作りあげた制度だと思います。

<私からのアドバイス>
 今、中国に派遣されている多くの駐在員は北京や上海だけで生活している人はわずかです。出張出張の繰り返しの駐在員が多数を占めているように思います。そして、何かが起こるのが決まって地方出張中です。実際に何かあった時は整備の不十分な病院にかつぎ込まれることになります。

 駐在員を送りだす本社では、ぜひ、このような緊急時を想定し、駐在員が居を構えている町にかかりつけ病院を持つようにしていただきたいものです。北京に限らず中国で勤務する日本人医療従事者の中国語は決して十分とはいえませんが、ある程度器材の整った病院であるうえ、必ず日本語ができる中国側医療従事者と一緒に仕事をしています。駐在員が地方出張中に怪我や病気の際には、地方の病院からかかりつけ医に連絡をもらい、住まいがある北京や上海の医師が地方の医療関係者と電話やFAXなどを使い診断・治療のアドバイスをする、そんな仕組みが求められていると考えています。もちろん現金で3000元は入院に備え用意しておくことはすでに言及しました。
(注)1元=16円


○北京の裏道から~オリンピック狂想曲 芸術事情

 呂さんは40代の男性で、自身で描いた絵画の販売や絵画の額縁を作ることによって生計をたてていました。オリンピックが北京に誘致される前、呂さんが描く絵画は1メートルを超える大きさのものであっても1000元前後の価格で販売してきました。読者の皆さんにとってこの値段は決して高いと思われないでしょう。しかしオリンピックの北京誘致はそんな呂さんに大きな福音をもたらしたのです。

 私が呂さんを知るようになったのは、全くの偶然からでした。私が客の1人として北京で購入した絵画の額縁を作ってもらおうと彼のアトリエのある市場を訪ねたからです。呂さんのアトリエは今、開発が急ピッチで進む一角である東郊市場にあります。東郊市場はまがい物を多く販売していることで有名な市場ですが、昔ながらの北京の市場を垣間見ることができることもあり私は時々でかけるのです。

 呂さんのアトリエといえば聞こえは良いのですが、実際は3坪ほどの場所に絵が無造作におかれている物置きとしかみえません。小学校の図画工作室のほうがよっぽど整然としています。アトリエに入るためのドアはなくアトリエは外から丸見え、床もコンクリートがむき出しになっていて、芸術とはほど遠いというのが私の印象でした。私もここには絵を買うためでなく、額縁を作ってもらいにきただけですので、当初、呂さんが描いている絵には大きな関心を寄せませんでした。無精髭に汚れた服から私は呂さんのことを売れない画家と判断したのです。

 私の注文の額はできあがるまでに1週間要するということを聞いて、私は「なぜそんなに時間がかかるんだい?」と聞いたのです。すると、呂さんの言ったことに私は言葉を失いました。「今、描いているこの油絵を今週中に仕上げないとならないから忙しいんだ」と言います。さらに続けて「これはフランスからの注文だから納期を守らないとね、なんせ17万元の絵だから」と言うのです。「17万元!それって日本円で300万円よ、1メートル四方の大きさのキャンバスにモンゴルの平原に佇む子供達を描いた絵がそんなにするの、おまけにその絵はフェイクじゃない(呂さんはコンピューターに写し出された絵を模写していた)」と私は言いました。

 呂さんは「それで驚いちゃダメだ、次に描く絵はオリンピックの開会式場で飾ってもらえるし、それは30万元するんだよ」。私はその値段の高さに驚くとともに、そんな高額な絵を描く画伯が、こんな薄暗いうえに通路にホコリが溜まっている場所にアトリエを開いていることに、大きな違和感を覚えたのです。しかし、私はこれこそオリンピック景気なのだと思いました。社会の片隅にいた呂さんをして海外に飛躍させる機会をオリンピックは提供したのです。

 私が勝手に推測するに、今まで絵画を始めとした芸術は中国において十分な評価を与えられてこなかった。中国というと書や水墨画だったと思います。しかし、西洋諸国では油絵の評価が高い、そこで中国政府は外国の嗜好に合わせるため、油絵の展覧会を行った。そして、油絵を専門に描いている人は決して多くないから呂さんにも偶然声がかかった、呂さんの描いた絵をフランス人が見て17万元という値段をつけた、とすると合点がいくのです。オリンピックを通じ千載一遇のチャンスを呂さんはものにしたのです。

 呂さんが別れ際に「田中は外国人で国賓だから、やっぱり明後日までに仕上げるよ」と言い一枚のしわくちゃな自分の名刺をくれました。その名刺には自分の名前の上に「international famous artist」と書いてありました。日本ならこんな直接的な表現をしないよ、二科展入選とかいった間接的な表現をするけど、でも100元の額縁の作成する客に「国賓」とは良く言ったなーと思います。しかし、呂さんにとって外国人は自身の才能を評価し高い価格で買ってくれる天使そのものなのです。

 今日は絵の値段と私が国賓扱いされたということで私は二度びっくりしたのです。見た目が良ければ良い商品、値段が高ければ高級なもの、そんなわけはない、大切なのは本質だと常日頃から言っていた自分が、今回の呂さんの絵の件ではまさに今まで卑下していた考えに私も陥っていることに気がついた時、私も俗物だなーと自分自身に苦笑しながら呂さんのアトリエを後にしたのです。競技には全く関係ない芸術の世界にもオリンピックはこのように大きな影響をもたらしているのです。

(注)1元=16円

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