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ニュースレター(機関紙)

海外メンタルヘルスの現場から(55)「海外赴任者のストレス~携帯電話の功罪」
NL07080102
メンタルヘルス、海外赴任、ストレス

海外赴任者のストレス~携帯電話の功罪

シンガポール日本人会クリニック
小川原 純子

私が12年前に、研修医として大学病院に勤務した時、常に連絡がつくようにと、ポケットベルを持たされました。担当患者に変化が起こり、医師の判断を必要とされるときには、24時間・365日、いつでもこのポケットベルが鳴らされます。
このポケットベルは非常に響く高音の呼び出し音でした。「ピー、ピー」という音が就寝中でもよく耳に届きます。朝6時に「患者Aさんが、便秘を訴えています。」と起こされたり、日曜日に、「Bさんが、外出を希望していますが、どうしましょうか?」と確認が来たり、時には、「検査の指示がありますが、検査伝票1枚足りません。」と事務的な確認もあります。確かに確認が必要ですが、すべての連絡が自分に入ってくることは、非常に慣れない体験でした。

時には、重大な判断を迫られるときもあります。抗がん剤治療中のCさんが、今までにないような強い胸痛を訴えています。「先生、どうしますか?」と夜中に看護師さんの緊迫した声が電話から伝わってきます。現場では、的確な判断・指示を強く望んでいるようです。経験の浅い研修医にとって、患者さんを診ずに下す自分の判断に、100%の自信が持てるはずもありません。夜中であろうとも、「分かりました。全身状態に注意をして、報告をください。今から、病院に戻ります。」ということになります。
リラックスした気分が一変、自分の予定がすべて覆り、病院に缶詰めになる可能性があるポケットベルの緊急呼び出しは、「ピー」と聞くだけで、胸がドッキンとし、アドレナリンが噴出する感覚が分かるほどでした。

さて、話は「現在」に戻ります。現在の仕事には、携帯電話とE-mailが不可欠です。この2種類の通信方法は、私たちが、ホンの少しの間でも仕事から離れる機会を失くしているように思います。「どこにいても、連絡がついてしまう。」「どこにいても、電話1本で仕事モード。」「追われてしまう。」「瞬時に仕事の重大な判断を迫られる機会が増える。」

これが、なかなか大変です。
海外の勤務者は、日本の勤務者よりも大きな責任を、一人で、比較的若いときから背負わされていることが多いのです。30歳代後半Dさんは、来星時に、ひとつの大きな建築現場の責任者を引き継ぎました。前任者が、シンガポールを離れた時点から現場のすべての連絡が、自分に入ってきます。些細な用件・重要な案件が混ざり合いますが、今までの経緯も100%頭に入っているわけではなく、判断には、資料の読み返しや各所への確認が必要になります。そこで、仕事モードに変身。慌てて事務所に戻って、取り組むことになります。

こんな海外赴任者のストレスを伺う度に、私は自分の研修医時代の経験を思い出します。私たちの研修医時代には、「一々、呼び戻されるくらいなら、ずっと、病院に寝泊りしていたほうがいい。」と、考える同僚が出てきました。長時間勤務先にいることで、何かトラブルがあっても、あまり驚かずに対応できるので、アドレナリンの節約になるのです。
海外赴任者の中にも、長時間オフィスでスタンバイしている方がいます。長時間仕事付けになっていれば、急ぎの対応も精神的に楽にこなせるという考え方です。ところが、このパターンを続けると、勤務者のプライベート時間が著しく減少してしまいます。「仕事関係以外の友人はいません。」「家族とは、平日は朝の5分くらいしか会話の時間がありません。」「家族旅行中にも、仕事のメールをチェックします。」こうなると、自律神経がリラックスする習慣がなくなってしまい、慢性的な疲労が少しずつ蓄積してゆくのです。

仕事を始めて、最初は、次に何が起こるのか、想像し、事前に対処することができなかったので、ポケットベルはやたらと頻繁に鳴っていました。ところが、慣れてくると、トラブル予知能力というか、入院して数日すると、便秘を訴える人が多いな・・・とか、検査の前日には、眠れずに看護師さんにSOSを出す人が多いな・・・とか、少しずつ、「前もって、予測・対応する」ことが出来るようになるものです。
仕事の種類や責任によって、どのくらいの経験でトラブル予知が可能になるのかは違いがあると思いますが、この「予め」心の準備をしておけるように経験を積んでゆくことは大切です。

仕事の組織上、可能であるのなら、どのような勤務者にも、「携帯電話が鳴らない日」が必要です。生産ラインが1年中動いていたとしても、一人の人がすべてのトラブルに、365日、スタンバイすることは精神衛生上、好ましくありません。優秀な部下を育て、数日間は自分が不在でも、仕事が順調に回る組織になってゆくといいですね。