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ニュースレター(機関紙)

続・話題の感染症8「SARSから新型インフルエンザ」
NL07060103
感染症

続・話題の感染症8「SARSから新型インフルエンザ」

海外邦人医療基金(顧問)
長崎大学熱帯医学研究所(客員教授)
日本医師会(感染症危機管理対策委員)
おおり医院 院長(神奈川県)
大利昌久

休むまもなく香港へ

上海、北京でのSARS講演が終わるやいなや、20日も経ずして、香港日本人クラブからも講演依頼が届いた。翌、5月13日(2003年)成田空港は、相変わらず閑散としていて、機内もガラガラ、香港の空港もいつもの混雑はみられなかった。映画の舞台となった有名な海上の中華レストラン[香港]の客は、私たちだけという有様。その日の香港では1674人発病、212人が死亡していた。
香港はSARS感染源となった「メトロ・ポール・ホテル」、院内感染を引き起こした「プリンス・オブ・ウエールズ病院」、マンション内集団感染となった「アモイガーデン」など、SARSが世界中に拡散した都市。この講演でも、参加者の多くからSARSに関する情報の確認や、対処法などの質問が相次いだ。

5月15日、通訳を伴い、SARSの舞台となった上記の場所を訪れた。
SARS感染の広がりは、ちょっとしたきっかけから始まった。広東省広州市の病院で肺炎の治療にあたっていた64歳の医師(広東省広州市内の医科大学教授)が、自らSARSに感染していることを知らず、親戚の結婚式のため、2月21日と22日の2日間、香港のメトロ・ポール・ホテルの9階に宿泊。ここで症状が悪化した医師の痰、嘔吐物などの排泄物は、トイレや部屋の床に飛散したものと想像される。この医師はプリンス・オブ・ウエールズ病院に送られ、3月4日に死亡。その後、この病院から50人以上の「院内感染者」が出た。

ホテル従業員は教授のトイレを清掃した同じ器具で、別室を清掃。別室に宿泊していたシンガポール人、カナダ人、ベトナム人に感染したと思われる。彼らがやがて、なにも知らずに母国にSARSを持ち帰り、世界へと広めたのだ。特に、中国系米国人のビジネスマンが上海、香港、ベトナムに入国。2月21日ハノイで高熱を発し入院。香港に転院したものの3月13日死亡した。ハノイの病院では、この米国人の治療にあたった病院職員7人が発病、うち1人が死亡。WHOは竄R月12日頃、100人以上が発病したが、感染ルートは、米国人の転院先と接点がある繧・﨑\した。

尚、香港で感染した男性が、香港から北京に戻る航空機内で、偶然乗り合わせた複数の乗客らに感染を広げ、北京や内モンゴル自治区での感染拡大につながった。その男性は、北京市内の3か所の病院を受診し、それぞれ院内感染を引き起こした。シンガポールでは、香港で感染した女性を通じ、100人以上が感染した。 また、同じホテルで感染した中国人(26歳)がプリンス・オブ・ウエールズ病院に入院し、これも院内感染の感染源となった。さらに、同病院で人工透析中の男性(93歳)にも感染し、この男性が近くのアモイガーデンの親族宅に宿泊、マンション内の集団感染も引き起こしたのだ。
このように、複数の強力な感染源、「スーパー・スプレッダー」、中国語で、「毒王」の存在が、世界中に感染拡大を引き起こしたことになる。

アモイガーデンは、25年前に建築された。19棟、1棟33階もある巨大高層マンション群で約20000人が居住。平和な住宅だったが、3月21日E棟を中心に爆発的なSARSの広がりがあり、数日の間にE棟だけで、41人が相次いで死亡した。香港政府はすぐにE棟を閉鎖隔離し、住民の出入りを禁止。

この2日後の3月23日香港在住の邦人男子(5才)が、高熱と呼吸困難にて、近くのクイーン・メアリー病院に入院。その関係者から、私にFAXが入った。「このまま現地で治療を受けるより、日本に帰って治療を受けたいが、どうすれば良いか」と言う相談だった。
クイーン・メアリー病院の、担当医に訪ねると、「人口呼吸器が必要で、ステロイドとビバビリンを多量に投与中。生命も危ない」と言う。そこで私は「例えSARSでなくても、重症肺炎なので、クイーン・メアリー病院での治療を続けるように」と指示。

当時、小児病棟には、複数の小児が同じような重症肺炎で入院していたらしい。結局SARSでなく、「非典型肺炎」として全員、退院したと言う。当時、日本の新聞に「邦人小児、SARS」の報道が流れたが、これは、全くの誤報だったのである。

E棟の入口左には、クリ-ニング店があり、2人ほど人の出入りが見られたが、斜め前の牛丼「吉野家」は閉館されていた。玄関に足を踏み入れると、中は薄暗く、狭い階段があった。エレベーターにのって9階に昇ったが、ブルブルする音と、微妙な振動が、天国に昇っていくような錯覚を覚え、不気味だった。     

当時は、原因が「空気感染も否定できない」との報道もあり、爆発的に拡大していくのではないかと、この地区の住民の緊張は頂点に達していたようだ。その後の調査でWHOは「SARS感染者の排泄物が故障中の排水管を通じて拡散し、建物の外に出ている換気口やエアコンの通気口を通じ、他の室内にウイルスが広がっていった」と発表。咳やくしゃみによる感染より、下痢便に含まれるウイルスの方が量も多く、感染力も強かったため、大勢の人たちが急速に感染した、と推測された。誰もが想像もしなかった感染経路である。この事件は、人々の記憶に永く残る悪夢となった。

アモイガーデンを後に、メトロ・ポール・ホテルに。メトロ・ポール・ホテルはアジア人の定番の4星ホテルで、当時2人の日本人も宿泊していたが、感染せず無事だった。事件後40日が経っていたが、ホテルフロントは閑散としていて、フロントデスクにアルコール綿球入りの消毒ビンが3つ置いてあったのが印象的。この後、プリンス・オブ・ウエールズ病院(1984年設立)を訪ねた。広州で感染し、それを知らずにメトロポールホテルに宿泊した医師が運び込まれた病院である。不幸にしてここでも多くの院内感染が起こり、私が訪ねた前日にも、SARS治療にあたった一人の女性医師が死亡。病院正面入口の右側に彼女を悼む遺影がテーブルにおかれ、百合の花が供えてあった。また、入口付近には子供たちが作ったのか、早くSARSがなくなるように、あるいは家族の回復を願う祈りを記した紙などが数多く飾ってあった。

これら感染の舞台となった場所を訪れると、案内役の女性通訳は、「ドクター、私、テルブルよ。」と恐怖のあまり、いつも、姿をくらまし、中国語の分からない私と同行の担当管2人が現場に取り残される有様。その時、私自身もプロ意識がうすれ、背筋がぞっとしたものだ。これは目に見えない、得たいの知れないものに恐れをなす、人の本能的な性かもしれない。
その後、私は2003年6月再び上海、そして大連、青島とまわったが、「SARSの恐怖が、少しずつうすれていく人々の姿」を目にした。そして、2003年7月、WHOからSARS終息宣言が出されたのである。ホッとしたものだ。

SARSの初発患者が入院した仙山第一人民医院に

2004年2月、海外邦人医療基金の依頼で中国の広州、北京、上海を訪れ、
SARSの医療機関の対応、実情などの調査をおこなった。そして、SARSの初発患者が入院した広東省仏山市の仏山市第一人民医院の医師と会うことが出来、感染症病棟に入る機会を得た。仏山市は毎年、コレラ・日本脳炎が流行する、亜熱帯の都市である。

仏山市第一人民医院は、1300床を有する大病院。一日の外来数は、約5000人、医師500人、看護師700人が勤務していた。広大な敷地の裏側に高い煙突型の焼却設備があり、その後ろに感染症病棟が新設されていた。完全陰圧室を含む70床はSARSを学んで、装備されたという。その玄関口にSARSを葬った医療チームの銅像が建てられていた。SARS肺炎のレントゲン写真をもった医師の銅像は誇らしげに見えた。

SARSの初発患者 は2002年11月25日に入院。この人は回復して退院したが、当時は、一般病棟で対応したとの事。その後「特別な感染性の肺炎繧・竄芻lえから、隔離病棟がおかれ、新病棟が設立されたのは、皮肉にもSARSが消える頃だったという。今は、中国で後を絶たないA型及びB型のウイルス性肝炎患者であふれていた。
案内役の医師は、SARS当時の実情を余り語らなかったが、きっと悲惨なものだったに違いない。銅像にみる医療チームの生命をかけた撲滅記念像がそれを物語っていた。

ヒト鳥インフルエンザの登場とSARSの教訓

2003年4月24日、中国から韓国に入ったが、当時、韓国ではSARS報道の片隅に、鳥インフルエンザのニュースが写真入りで流れていた。ソウル市外の養鶏場でニワトリが次々、死亡したという。後日、この鳥インフルエンザが日本を含めた東南アジアを中心に大流行。H5N1型の鳥インフルエンザウイルスであることがわかり、人への感染も確認された。

2003年、中国で1人、ベトナムで3人が感染。全員死亡。2004年新たにタイで17人2005年インドネシアで20人、ベトナムで61人が感染、翌2006年インドネシアで55人うち45人死亡するにいたり、SARSに次ぐ、「人類を脅かす感染症」として大騒ぎになった。

SARSの流行をゆるしたのは、「情報かくし」が第1の原因だったと考えられる。その後、WHOの指導で「発熱外来」を中国内の公的医療機関にほぼ100%設置したことは、予防につながったし、医療現場での「発熱」チェックシステムの導入が効を奏した。今年〈2007年〉、中国の福建省で、ヒト鳥インフルエンザが出たことにより、2月26日付けで、中国衛生部検疫総局は「ヒト鳥インフルエンザの伝播防止について」の公告を素早く流した。内容は中国への出入国の検疫を強化するというもの。恐らく、今後、出入国の際の「体温チェック」と「健康問診表の配布」が徹底して行われると思われる。これは、SARSを克服した中国の厳しい決断。歓迎すべきことである。そして、日中韓3カ国の、会議が4月8日、ソウル市内で開催され、「新型インフルエンザ発生時の備え」、「検疫と診断」、「治療薬の開発」などの分野で3カ国の協力体制強化がうたわれ、新型インフルエンザ包囲網が中国を含め、出来つつある。

今後、2008年北京オリンピック、2010年上海万国博覧会が開催される。世界中からどっと中国に人が集るので、中国発の新型インフルエンザの発生を許してはならない。中国の真摯な努力が更に必要である。

今や、新型インフルエンザが人から人へ感染する可能性が警告されている。
新型インフルエンザの流行が、レベル4にはいる前から、SARSで学んだ「初めての人類の体験」を教訓として生かすべき時代となった。

参考資料:
    広瀬 茂      SARSその時       八月書館(2003)
    大利 昌久     中国の鳥インフルエンザ、過去と現在  
                臨床とウイルス(日本臨床ウイルス学会)(2007)