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ニュースレター(機関紙)

続・話題の感染症7「人類を脅かした感染症(SARS、その時)」
NL07050103
感染症

続・話題の感染症7「人類を脅かした感染症(SARS、その時)」
                         

海外邦人医療基金(顧問)
長崎大学熱帯医学研究所(客員教授)
日本医師会(感染症危機管理対策委員)
おおり医院 院長(神奈川県)
大利昌久

何気ない会話

2003年1月23日、中国ウェルビー医療支援サービス会社から「意識不明の重症劇症肝炎の邦人男性(55才)の診療のお願いをしたい」旨の緊急連絡が入った。ただちに、成田国際空港から上海に。上海にて緊急医療チームを編成し、医療用の6人乗り小型ジェット機をチャーター、雪の大連空港に。そのまま、大連市第一人民病院のICU室を訪れた。病室に入った時は、すでに深夜。

待機していた担当医の女医さんの病状説明を受けた。「A型肝炎、B型肝炎が悪化し、劇症肝炎」という診断だった。人工透析、血しょう交換の高度医療をうけたものの黄痕がひどく、意識は戻っていなかった。「日本に帰したい、途中死んでもかまいません。なんとかお願いします」という家人の希望をいれ、翌24日、人民病院の救急車で、大連空港をフリーパスで通関し、大連から関西空港に飛んだ。不思議なことに患者さんの意識が少し回復し、目をあけるようになり、私は安堵したものだ。

関空到着後、そのまま、空港付近の泉佐病院に収容、私の短かった「2泊3日の激務」は終わったのである。その時、緊急医療チームのベテラン、呈看護婦との何気ない会話「広東省で肺炎が流行してるよ」「何か変だよ」
この時は、あまり気にとめてなかったが、これこそが世界中を震撼させた「謎の肺炎、SARS」の始まりだったのだ。

その後、呈看護婦から2月10日、情報が入った。同様のものが、2月11日在広州日本国領事館から、中国在住邦人にむけて「お知らせ」という形で流された。
その内容は以下の通り。
① 2月10日現在で広東省での発症件数は305件、死者5名。
② 発症件数は増えているものの、回復して退院した患者もいる。医療関係者が死亡したという噂が広がっているが、医療関係者に感染例が多いのは初期の頃に病気への認識が足りなかったためで、最近の医療関係者への感染はない。
③ その他「病原菌が撒かれた」、「数百人単位で死亡者が出た」、「ネズミを経路として感染する」などの噂が広がっているが、すべてデマである。
④ 病原については現在、省、市をあげて研究中。

また対策として同じ文書に、
① 普通の風邪の予防でもあるうがいをし、人ごみを避ける、換気などを心がけるよう。
② 唾液や気管支からの分泌物などで病気がうつるので、感染者との至近距離での接触は避けること。数日間の潜伏期間があり、高熱などの症状が出た場合には医師の診断を受ける。
などが、記載されてあった。SARSの原因や感染経路が特定されるまでに紆余曲折したことを考えると、当時としては的を得た指摘であったように思う。


SARSとの関わり

3月9日、日本医師会の主催で、「海外旅行と感染症」というシンポジウムが開催された。講師には、岩本愛吉教授(東京大学医科学研究所)、木村幹男先生(国立感染症研究所感染症情報センター室長)、甲斐明美先生(東京都立衛生研究所微生物部)と私の4人が出席。シンポジウム終了後に、参加者から質問が出た。

「中国南部で肺炎が流行しているが、あれは一体何ですか?」
その質問者は、中国広東省から一時帰国している日本人。私はこの瞬間、呈看護婦との会話が頭に浮かび、「これはただならぬ新しい病気かも」という嫌な予感がした。

3月12日、日本医師会危機管理対策委員会が開かれた時点で、謎の肺炎は中国ばかりでなく、ベトナムのハノイでも発生。香港を旅行した中国系米国人が体調不良でハノイの病院に入院し、その後、患者に接した医療関係者ら40人近くが感染していた。これをうけ、WHOは原因不明の肺炎が集団発生し、ハノイで20人、香港で23人が入院中であると発表。これは医療関係者の発病が多いことから、異例の警告を発したもの。この報告を受けて日本の厚生労働省も、3月14日には都道府県や日本医師会に情報を流した。

この記事のあとしばらくすると、死亡した2例にクラミジア感染が確認されたため、これは「クラミジア肺炎」ではないかという情報も流れた。3月17日にウェルビー広州のスタッフから、「現地の日本企業からいろいろな照会が来ている。現地では情報が少なく不安を増すばかりであるが、何か日本での情報はないか」との問い合わせが入った。

スタッフの話では、中国政府からは「状況は悪化してない。うまくコントロールできている」ということ以外、新しい情報は出てこないという。また、以前の報道では「病院関係者に感染者はいない」とされていたが、「実は感染者がいた」とか「死亡者はもっと出ている」などの噂もかなり出回っており、現地では政府によって情報がかなりコントロールされていた感じがある。このことから、中国政府は大混乱していることがうかがえ、病院内感染が予想外にもっと多いと疑われた。

4月16日、多くの情報と恐怖感が渦巻く中、私は東京商工会議所(東京丸の内)で「SARS対策」についての講演を行った。中国や東南アジアに事業を展開している企業の方々で、会場は満員。やはり、新しいウイルスに対しての恐怖心が強いためか、質問のほとんどは有効な予防策に関するものだった。

SARS流行の中国(上海→北京)へ

東京に引き続き、SARSの流行地である上海と北京の日本企業から招かれ、現地でSARSの講演を行うことになったのは1週間後のこと。目的は、パニックに陥っている邦人に「SARSを正しく理解をしてもらう」ことと、「今後の対処方法」などを説明することだった。

成田国際空港は、SARSを恐れて海外渡航が控えられているためか、旅行者は少なく、驚くほどの静けさ。しかし、空港の様子は普段と何も変わらず、通常の出国手続を済ました。SARSに関しては何のチェックもなかった点が不思議だった。ただ、飛行機はガラガラであり、SARS汚染地域に向かうためか、客室乗務員は全員ウイルス対策用のマスクをつけていた。やがて到着した上海浦東空港では、通関手続きの前に「健康チェック」があり、健康状態に関する質問表の提出を求められたが、検温はなかった。質問表には入国時に申告する通常の項目の他に、「座席の番号や今後14日以内の連絡先など、SARS感染を意識した質問」が加えられていた。通関ロビーは、問診表を記入することで大混乱していた。

上海では、4月2日に1人の感染者が確認され、伝染病病院で隔離治療が行われた。また、17日に2人目の感染者が現れ、1人目の患者の肉親であることが発表されていた。私が到着した23日には、SARSの疑い例が16人と増え(結果的には、いずれもSARSではなかった)、人口1300万人とも1400万人ともいわれる人口からすれば、とるに足りない数字である。しかし、その信憑性を確かめるべくWHOの6人の専門家が同じ日に上海に視察、確認に来た。出発の4月23日の時点で、世界で4,288人が発病し、死亡者は251人(死亡率5.9%)。中国国内では2,305人が発病し、106人が死亡(死亡率4.6%)という状況だった。流行地はさぞかしパニックになっているだろうと想像していたが、空港を出るといつもと変わらない「上海の姿」がそこにあった。

市内ではマスクを着用して、感染予防をしている人は少なく(一説によると、マスクが不足していたらしい)、中国の人々はあまり恐怖心や危機感を抱いていないようだった。
むしろ、SARSに対して過剰なまでの反応を示したのは、現地の日本人。講演会は、上海の国際貿易中心の大講堂で開催したが、120人を超える日本企業の代表者が出席、およそ6割の人がマスクをしていた。

講演の内容
「感染症危機管理対策」や「SARSに関しての知識」、「SARSの予防」などを中心に講演を行った。参加者から多くの質問を受け、予定の時間を大幅にオーバーした。「SARSの検査方法と日本での検査機関はどこか」「中国から帰国した駐在員に対して、どのような指示を出せばいいか」「SARSと判明、もしくは疑わしい社員が出た場合、社内の措置はどのようにとるべきか」「現地スタッフも含め、現地企業でSARS患者が発生した場合、現地駐在員にはどのような指示を出すべきか」など。

さまざまなウワサが飛び交い、日々不安にさらされていた参加者に対して、正確な情報と対応策を説明できたことは、大きな意義があったと考えている。
上海ではSARSの拡散を防ぐために街頭でつばを吐いた場合、従来の50元から200元に罰金を引き上げた。また、インターネットや携帯電話のメッセージを使ってSARS関連のデマを流したとして、容疑者が4人逮捕された。人びとを不安に陥れ社会の混乱を招いたということで、当然の処置である。

これら一連の事象や規制の速さをみると、さすが中国、国の管理が徹底している。SARSの蔓延を防ぐことに国の威信をかけ、躍起になっていたのである。日本では逆立ちしてもこのようなことは行われないだろう。

北京からソウルへ

翌4月24日、上海から北京に移動した。日増しに感染者数と死亡者が増えている北京では、上海と異なり緊張感が漂っていた。機内の乗務員はすべてマスクを着用し、ビニール製の手袋を使用していた。乗客もほとんどがマスクをしていた。
機内で健康質問表に記入し、通関の際に係員に手渡すだけの簡単なチェックだったが、乗客が全て降りた後で防疫班が消毒液をもって、機内に入っていく姿が見られた。

北京市内はマスクだらけ。スーパーマーケットは、買いだめをする人々で食料品不足に陥っており、特に保存食と米類が欠乏していた。マスクや消毒薬を求めて、薬局の前は客の列でごった返し大混乱。逆に、100万人が集結し、大事件の舞台となった天安門広場に人影がなく、まさに仮死状態に陥ったようだった。日頃、観光客であふれる故宮にも、人の姿はなかった。日本企業は、人が集まる地下鉄やバスによる通勤を自粛するよう通達し、近距離なら自転車出勤を呼びかけ、遠方の人には送迎車を出していた。

翌25日、北京では日頃、日本人が多く利用する中日友好病院(1984年10月開設)を訪れたが、閑散としており、国際医療部の外来患者は雲。院内には頭巾、ゴーグル、マスク、手袋完全装着の病院スタッフがいた。消毒の臭いが充満し、中に入るのを断られた。というのも、昨日も院内感染で数名の医師が入院したため、外部からの来訪を禁止いているということだった。後で知ったことだが、中日友好医院では3月30日に最初のSARS患者を診断後、4月30日までに121人を診断し、56人の治療にあたっていたという。そんなことからか、4月27日に北京市政府によってSARS治療専門病院に指定され、4月29日からは外国人用国際医療部を含めて一般外来の受付を停止してしまったのである。

日本の外務省が、北京市に「渡航自粛勧告」を出したため、このような深刻な中で講演に参加する人々はとても真剣。その後、刻々入る情報では、北京市内ののディスコ・カラオケバー・劇場・映画館などが営業停止となり、北京市内に入る幹線道路に厳しい検問がしかれ、地方からの北京への移動が制限された。

同日、出国のため、北京国際空港に向かった。空港は大混雑。熱気とたちこめる人息で、前が曇って見えないほどだった。マスク姿の外国人ばかりでなく、SARSを逃れる中国人の脱出組もいるらしく、異様な雰囲気。日本人の姿もあり、たずねてみると、中国を脱出する子連れの家族、ビジネスマン、大学生などがほとんどだった。その群集にまじり、私は、北京を離れ、隣国、韓国に向かった。SARSに対する韓国の取り組みを知りたかったためである。

ソウル国際空港では入国時に「健康調査書」の提出と「体温測定」が実施されており、危機管理が中国よりも更に徹底的に行われていた。まだ、韓国内での発症例がない中で、韓国KBSがSARSに関する特番を放送するなど、情報がきちんと伝えられていた点は感心。日本の取り組みの遅れが気になった。