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ニュースレター(機関紙)

海外メンタルヘルスの現場から(36)「 海外赴任者のストレス~治療への期待と依存 」
NL06010102
メンタルヘルス、海外赴任、ストレス

海外赴任者のストレス~治療への期待と依存


シンガポール日本人会診療所
小川原 純子

2005年は、「海外診療所における心療内科の役割」を考えさせられる一年となりました。日々の外来診療の中で、患者さんやその家族から大きな期待を寄せられていることを感じます。例えば「心理的には限界ですが、心療内科がここにあるから何とか海外生活を続けてゆけます。」「私は、海外出張が多いですので、留守中、家内を定期的に外来で診ていただけると助かります。」ご家族と離れ、単身で海外生活をしている場合には、「日本からでは、何かあってもどうしてやれませんので、何卒よろしくお願いいたします。」

日本で、フロイトの精神分析を勉強し、「医師-患者の距離」をきちんと保つことが治療の第一歩と習ってきた私としては、患者さんやご家族から「大きな期待」「海外で欠けている深い人間関係の一端」を握らされてしまうと、「さて、この役割が、治療者として適切かどうか?」かなりの悩みどころです。

やはり、心の問題は母国語で相談したいと思う人は少なくないはずです。そして、できることなら、不調を感じて相談に来てくださった方々の力になりたいと、思う一方で、過剰な期待や依存を受けることをどう対処してゆくかは重要な問題でしょう。

治療者が「患者さんやご家族の期待に応えよう」と強く思い過ぎたために、外来治療の限界を超えてしまったケースを考えてみたいと思います。

シンガポールに来て2年になる、50代前半の女性Tさんが、受診されました。
家族4人ですが、お子さんたちは大学生であるため、日本で寮生活を開始し、ご夫婦のみで来星されたそうです。自宅マンションは、数年間の契約で賃貸に出してきました。

来星して以来、ご主人は月の半分以上、海外出張のため家を空けているそうですが、当初、Tさんは、「子育ても一段落したし、自分一人でも外に出て活動しなくては・・」と、はじめての南国生活を楽しんでいました。ところが、半年を過ぎた頃より、「外出・買い物・習い事」で過ぎて行く毎日が、非常に空しく感じられるようになりました。

ちょうどその頃、ご主人は日本からも期待の掛かる新プロジェクトに向け、忙しいながらも充実した日々を過ごされていました。ご主人の充実ぶりと、役割のない自分の日々を無意識で比較してしまい、休日にゆっくりと昼寝するご主人にイライラを向けていることまで分かっていましたが、自分の空しさをどうすることもできません。

そんな時、イライラしたり、落ち込んだりと気分の変動の著しい奥さんに見かねて、御主人が心療内科受診の予約を入れてくれました。「僕は、出張で色々と聞いてあげられないから、医者に相談してきたら・・・」というご主人の思いだったそうです。

そこから、治療がスタートしました。治療開始当初、気分の落ち込みは、内服に合わせて徐々に改善する兆しが見られました。ところが、40~50%改善したところから調子は一向に上向きません。

Tさんには、もう一つ問題がありました。自分の両親と折り合いが悪く、兄弟・親戚にも相談相手がいなかったことです。子育てが終わって、自分のこれからの人生を考えてゆく大事な時期に、Tさんは孤独でした。

定期的に通院することが、海外生活でのTさんの孤独を支えることになっていました。一時期は、Tさんから「毎日起こったことを先生に相談したいので、先生の連絡先を教えて欲しい。」「メールアドレスを教えて欲しい。」と熱望されました。

2年前、ご主人の長期出張と当地の休日が重なり、Tさんが4日間ほど一人で生活していた時に事故が起こってしまいました。誰とも接触なく、会話もなく、寂しさに耐えかねたTさんが、安定剤を過量に内服してしまったのです。

結局、電話でTさんの様子がおかしいことに気付いたご主人が、同僚家族に連絡し、Tさんの様子を見に行ってもらいました。初めて、Tさんの病状を知らされた同僚家族は、大変に驚いたそうです。その後、救急車が呼ばれ、Tさんは緊急入院となった次第です。

Tさんは、無事回復し、在星中、ずっと心療内科通いが続きました。

Tさんの回復に家族の精神的サポートが不可欠なことは、分かっていましたが、その当事者達は仕事や学業に忙しく、距離的な困難もあり、「医者に相談して・・・」という格好で、サポートを丸投げしたことが、病気を長期化させた一因です。

もし、心療内科がなかったら、ご家族が真剣に向き合ったり、周りの人に援助を求めたり、赴任期間を短縮して、日本帰国ということもありえたでしょう。こういった決断を迫らずに、ずるずると宙ぶらりんで進んでゆくことも、問題なのです。

「患者さんの過剰な期待に応えられないこと」を伝えることは、実は、「患者さんの期待に応えること」よりはるかに難しいことなのです。特に、海外で治療に当たるものが限界を示せば、それはすなわち、「患者さんの当地での滞在の限界を決定付けること」にもなりかねません。治療に当たる私自身にとっては、「自分の治療限界」を認めることにもなってしまい、実につらい思いです。

患者さんの長い人生の中で、この時が無駄にならないよう、きちんと考えてゆきたいと思っています。