• ホーム
  • 基金について
  • 海外医療情報
  • お勧めリンク集
  • よくある質問

ホーム > 海外医療情報 > ニュースレター(機関紙)

ニュースレター(機関紙)

小児医療の現場から(1)~小児科からこころの診療部へ~
NL05100104
小児科

小児科からこころの診療部へ


国立成育医療センター こころの診療部 発達心理科
広瀬宏之


はじめに

「小児医療の現場から」と題してリレー形式で連載する事になりました。トップバッターとして何を書こうか悩むところですが、自己紹介ならびに自分が現在所属しているこころの診療部と小児科との違いについて感じている事を記してみようと思います。

医者になって十年余りがたちました。父が入退院を繰り返しており小さいときから病院は身近にあって、物心つく頃から医者をその道と思ってきました。しかし、一人っ子でこどもと接する経験が少なく、こどもの相手もあまり得意ではなく、小児科に進むとは考えていませんでした。ところが、実際にやってみると大人より楽しいことがわかりました。子どもは言葉での表現が少なく症状の理解が難しいといわれます。しかし、子どもは嘘をつきません。言葉がなくても顔色や態度を見ていれば具合は十分伝わってきます。

最初に大学病院で1年研修をしました。同期の研修医が16人もいて、受持ちはそれぞれ2人ずつでした。僕は先天奇形症候群の呼吸管理をされている赤ちゃんと6歳の摂食障害の女の子でした。時間は十分にあり、摂食障害の子と毎日遊び、栄養管理をして、親との面談を繰り返していました。自然と病院のこどもたちととことんつき合う習慣ができました。

最初の患者さんや上司の先生、そして当時の病棟の雰囲気によって僕の小児科医としてのスタンスが決まったと思います。ちなみに、その時の病棟医長は榊原洋一先生でした。

また、これも偶然なのですが、心理的要因のある患者さんにあたることが多く、研修医時代の3ケース目も心因性発熱の中学生でした。その冬にもう一人摂食障害の中学生も受け持ちました。毎日散歩をすることが彼女からの唯一の注文でした。

その頃は研修医も外の病院に出て少なくなり、それに反比例して受持ち患者は多く、悪性腫瘍への化学療法の連続で目が回るほどの忙しさでしたが、本郷キャンパスを毎日散歩していました。一人一人に深く接することのできた貴重な時代だったと思います。

こころの診療部

その後、船橋の病院で一般小児科を3年間勉強し、大学院で4年間の神経の臨床と研究をしました。2年前からは国立成育医療センター(旧国立小児病院)のこころの診療部で主に自閉症など発達障害のお子さんを診療しています。

小児科に進む一つのきっかけが学生時代に見た自閉症デイケアでした。自閉症を専門にするとは思っていませんでしたので、ここでも人生の不思議さを感じています。成育医療センターでは自閉症をしっかり診るつもりだったのですが、最初の入院ケースが心因性歩行障害の女児、最初の外来ケースは自己臭恐怖の女児で、広く心理・精神疾患をもつこどもたちを診療する毎日となっています。また、自閉症を診療するにあたっても精神科的な知識や技法は必須だと感じています。

昨今、こどものこころの問題は注目度が高くなりつつあり、各地の大学病院や小児病院にこどものこころにスポットを当てた診療部門が設置されるようになっています。成育医療センターのこころの診療部も平成14年のセンター設立と同時にオープンしました。

そこでは自閉症・学習障害・注意欠陥多動性障害などの発達障害、心身症と呼ばれる心理的原因で身体症状が生じる状態(例えば摂食障害)、うつ病や統合失調症など精神科よりの疾患、心的外傷後ストレス障害、不適切な養育による子どもの心理・精神症状、養育者側の育児不安などなど、社会の変化に伴いこどもと親へのストレスは増えつつあるようです。

成育医療センターのこころの診療部では精神科出身と小児科出身の医師が丁度半々ずつの混成部隊で診療しています。僕は小児科から小児神経を経て現在に至っていますが、精神科領域に足を踏み入れてみると、小児科時代に培われたのとは全く違うスタンスで診療をすることになりました。慣れるまでは新しいことの連続で、上手く行かないこともありました。以下、僕が感じてきた小児科との違いを書いてみようと思います。

小児科との違い

1、時間感覚
まず、臨床場面での時間スケールが違います。医者の歩くスピードからして違います。小児科では一日のうちでも、いや、分や時間の単位でも症状が推移していきます。音楽で言うならばアレグロやプレストです。入院期間も多くの場合は数日から長くても数週間です。

一方、精神科ではちょっとやそっとでは変化しません。最低でも月単位、長いと年単位で症状がゆっくりと改善していきます。アンダンテからアダージョといったところです。小児科医は概してせっかちです。精神科ではせっかちは“おてつき”になり大抵うまくいきません。患者さんのこころの変化に寄り添いながらゆっくりと付き合い、ここというときに治療的介入をするのです。付言ですが、一人の患者さんの経過で本当に治療的介入を必要とされるのは1回から多くても数回といいます。そのタイミングを見失わず、必要なときに必要な介入をすることが肝心なのです。

2、治療契約
治療の概念も大きく異なります。小児科では何を治療の対象とするかは明らかで、改めて言葉にする必要は殆どありません。肺炎で熱や咳が出ている場合、症状を軽減し原因の肺炎を治す事が治療です。子どもでは明確な意思は無いかもしれませんが、辛い思いをして治して欲しいと思っているのには間違いはありません。小児科では病院に来て医者に診てもらう時点で暗黙のうちに治療契約が結ばれており、治してもらうことは自明のことなのです。

精神科的疾患で戸惑ったことの一つが、治してもらうことが自明になっていない事でした。例えば摂食障害の場合、食べずに痩せていくことは本人が意図的にやっていることで、治して欲しいようには見えません。限界を超えた低体重が心地よく、治療される事に強い抵抗を示します。しかし、生命にかかわるので治さないわけにはいきません。リストカットや自殺企図の患者も同じです。死にたいならどうぞとは言えません。ここで、本人の意思と治療の必要性がかみ合いません。治療契約は暗黙ではなく、何を治すのかに関して合意することが必要になってくるのです。そもそも合意すること自体が治療の一部なのです。多くの場合は患者さんと医者のあいだに治療契約が結ばれるまでに時間がかかります。治療契約が成立すれば治療の半分は終わったも同然です。

しかし、さらに考えると、一見治療を拒む摂食障害や自殺企図の患者さんも、実は深いところで治療を望んでいます。死にたいと思って病院に来る、素直に考えれば、病院に来ずに死んでしまっても良さそうなものです。そうではなく、死にたいくらい辛いので何とかしてくださいということなのです。或いは、食事が食べられずこんなに痩せ細るほど辛いので何とかしてくださいということなのです。訴えの裏に隠された本当の思いを引き出して、そこに焦点をあてて治療していくのです。

その意味でも、何を治すかを常に考えていないといけません。食べられなくて体重が減ってしまうことだけを治すのではなく、食べられない背景、家庭環境だったり親子関係だったり学校での友人関係だったり、勿論本人の性格の問題だったり、その深い所に横たわっている「何か」を一緒に治療して行くのです。こう書いてしまうと当たり前のような気もしてきますが、日々治療に抵抗する患者さんをみると医者の役目も随分違うものだと思うのです。

精神科では「患者」という言い方ではなく、「クライアント(依頼者)」という言い方をすることがあります。身体疾患では病気自体が依頼内容であり自動的に「患者」になりますが、精神科では病気があって、更にそれを治したいと思っている人が「クライアント」になるのかなあと考えています。このように呼び方にも相違点が現れていると思います。

3、治療構造
精神科の治療には「枠」という概念があります。これも小児科では意識しなかった概念です。治療の場所、時間、費用、頻度などの構造をある程度決めてその中で治療をします。精神科の治療を外科手術になぞらえる先生もいます。こころの“外科治療”なのでしっかり準備をして不測の事態に備えられるよう、侵襲度が高いのでめったやたらと治療をしないようにしなくてはいけないというのです。

入院のケースでも小児科では医者の時間が空いている時に回診に行きます。時間はあらかじめ決めてはいません。(とは言っても、外来の前後など結局は一定の時間に収束する事が多いのですが。)

精神科の場合はもう少し決まった時間に「面接」と称して別室で治療が行われます。僕が入院で受け持っていた摂食障害の男児は毎週水曜日の10時45分から11時30分が面談時間でした。面接室で二人きりで話をします。その45分は彼のための時間で、そこでは何を話してもよく話した内容は二人以外には漏らす事はありません。

枠を守る事で初めて患者は安心して自分の内界を語ります。大抵は、非常に激しい気持ちを抱えているので、枠のある所で取り扱わないと医者もクライアントも激しさを扱い損ねて傷を負いかねないのです。枠がある事で、双方ともに守られているのです。

4、抱えること揺さぶること
治療には「抱え」と「揺さぶり」の二つの側面があります。
「抱える」ことは患者の今の状況を受け止め認めてあげること、治療の場所を保証すること、急いで今の自分を変えようとしなくてもいいことなどを保証することです。治療の場や、その土台を提供してあげることにもなります。また病院に行かなくても、きれいな月を見ること、美味しい食事を食べること、美しい芸術作品を体験することなどでこころが癒され、明日への活力が出てくることがあります。この場合、「月を見る体験」で気持ちが支えられ、抱えられたことになって、自分でもある程度の治療は出来るのです。

しかし、多くの場合「抱える」こと、即ち支持的療法だけでは治癒には結びつきません。
治療的介入と呼ばれる様々な「揺さぶり」が必要になってくるのです。カウンセリングでの指示や促し、薬物療法、家族や学校等への環境変化の働きかけなどが「揺さぶり」になります。「抱え」の姿勢を持ちつつ、適切なタイミングで「揺さぶり」をかけ、この二つのバランスを考えながら治療を進めていきます。

ところが身体疾患では「抱え」と「揺さぶり」の意識は希薄で、薬物治療や外科治療などで体に揺さぶりをかけることに終始する場合が多いような気がします。もっとも、慢性疾患、特に神経疾患などでは現在の医学では治癒できない疾患も多く、やむを得ず「抱える」ことが治療の主体になる事があります。そのときでも、医者はなんとか治せないかと苦しみます。「抱える」こと自体が治療になるという感覚はあまりないように思います。

医者の言葉で評判の悪いものに「経過を見ましょう」というのがあります。これは、多くの場合、特に治療手段は無いし自然に任せて経過を見ていて大丈夫ですよ、という意味なのですが、言われた方は随分と不安に思われるようです。例えば、単純な風邪でも普通は特効薬がありませんから経過を見ているしかありません。この場合「経過を見ましょう」と言うのを一歩進めて、「普通の風邪は自分の免疫力で治るから自然の流れをみていて大丈夫ですよ」と安心させてあげることが「抱える」ことになります。

また「今は大丈夫だけれども、もし風邪がこじれて肺炎になってしまってもお薬で治療するから大丈夫ですよ」というのも(お薬の治療は「揺さぶり」に相当しますが)「抱える」ことになります。僕も時々小児科医に戻って、風邪などの診療をすることがありますが、「抱える」という概念を意識するようになり随分診察がしやすくなったと感じています。

5、医者の気持ち
患者さんの中には、攻撃的な方や逆に過度に親和的な方など、様々な性格の方がいらっしゃいます。
身体疾患の場合は体の状態を良くすればいいので、性格はあまり関係ありません。しかし、精神科の場合はその性格が正に疾患や症状と分ちがたく結びついています。医者と患者さんの関係性や診察室での態度、患者さんから医療者への言動などを治療のテーマとして取り上げる必要も出てきます。医者も人間ですから攻撃的な場面では不快に感じます。感じてそれを単純にそのまま表現するのではなく、また、押し殺すのでもなく、自分の中でいったん消化して解釈する。その上でその場で患者さんにフィードバックするか、その時はフィードバックしないかを考えるのです。その状況をどう扱ったら治療に一番効果があるかを即座に判断するのです。

その意味で医者は患者さんとの面接場面で感じる自分自身の気持ちに敏感でなくてはいけません。身体疾患の場合は聴診器をあてれば、或は血液検査やレントゲン検査をすれば状態は把握できます。精神疾患の場合、聴診器にあたるのは医者側が感じる患者さんへの気持ちです。もちろん、それが全てではありませんが、精神症状と呼ばれる患者さんの所見をとる上で、医者が自分の気持ちを正確に見つめることは欠かせないことなのです。



編集部より:当基金では1996年1月に、会員の皆様のための小児医療相談「JOMF-キッズネット」を開設、東京大学医学部小児科教室のご協力により、医師(有志数名)のボランティア活動として、スタートしました。相談の手段は当時は国際電話のみで後にインターネット掲示板も始まりました(詳細はホームページ会員専用メニューをご覧ください)。
開設10年を記念して、今月より相談担当医によるリレー形式の随筆の連載を開始します。多忙な医療活動の合間をぬって相談に協力をいただいている先生方のメッセージとしてお読みいただけたらと思います。次号の執筆者は今回の文中にも登場している榊原洋一先生の予定です。