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ニュースレター(機関紙)

子どもと大人のメンタルヘルス(2)トラウマについて
NL05050103
メンタルヘルス


子どもと大人のメンタルヘルス(2)トラウマについて

小児精神科医
沼畑玲子

#トラウマとは
ここ数年、「トラウマ」、「PTSD」という言葉を耳にすることが増えました。「トラウマ」traumaは心的外傷のことで、文字通り「心の傷」という意味です。「PTSD」はPosttraumatic Stress Disorder(心的外傷後ストレス障害)の略称です。これは、生命の危機を感じるような危険な出来事を体験したり、他人に起こった出来事を目撃、もしくは知らされたことが「トラウマ」となり、後にその場面が鮮明に思い出され、耐え難い苦痛を感じ続ける状態を指します。日常的に眠れない、刺激を受けやすい、集中できない、必要以上に警戒する、などの症状が現れます。原因となる出来事には、自然災害、人災、戦闘、強盗やレイプなどの個人的な暴力、事故等があります。

現在PTSDの最も有効な精神療法の一つと評価され、世界で広く用いられている治療にEMDR、Eye Movement Desensitization and Reprocessingがあります。私はこの療法を行うことから、PTSDの患者を治療する機会がありますが、PTSDの診断基準を満たしていなくても、長い間トラウマを抱え、苦しんできた患者はたくさんいます。肉体的な生命の危機ではなくても、自分を取り巻く人間関係において起こった経験に傷つき、そのことを思い出すと平静でいられなくなったり、この先うまくやっていく自信が失われたり、絶望的になったり、「生きる価値があるのか」という問いかけを自分自身に向けるような、深刻な場合もあるのです。

誰もが「心の傷」を背負って生きている、と言えるのかもしれません。しかし、その傷が過去のこととなりえず、心に凍りついたまま現在のこととして存在すると、その出来事を思い出させるような場面に遭遇した時、閉じ込められたトラウマが再び刺激されて、問題が生じていきます。


#トラウマはどのように強化されていくか
子供の精神は成熟の途中にあり、大人に比べると解釈のバラエティーが乏しい、ということがあります。周囲が自分をどのように受けとめているのか、ということを認識する過程で、相手の言動を単純な結びつきによって意味づける傾向があります。しかし、どのようなことで、どの程度傷ついたと感じるのか、は大人と同じように子供によっても様々です。

たいへん足の速い子供がリレーのアンカーに選ばれ、2位でバトンタッチされた後めざましく差を縮めたものの、あと一歩のところで追いつけず2位でゴールしました。その後、リレーに出た別の子供に「皆で、お前がアンカーなら1位を取れる、と思ったから選んだのに。」と荒々しく言われます。ある子供は、「自分はかなりの差を縮められたから、前走者達がもっと速く走れていたら、1位をとれたかもしれない。自分が責められるのはおかしい。」と思うかもしれません。またある子供は、「自分の力が足りないことで周囲の人間をがっかりさせてしまった。自分は期待はずれの人間だ。」と自分自身を責めるかもしれません。

起こった出来事に対し心がどう反応するかは、普段、自分が自分自身をどのような人間だと解釈しているか、に大きく影響されます。上に挙げた例で、初めの子供は、自分は十分にやれている、という認識を日頃から持っていると思われます。その認識が、友人からのきつい言葉を自分の中に取り入れる時、「その評価は妥当ではない」と判断することを選択するのです。二番目の子供はどうでしょうか。自分は十分にやれていない、と日頃から感じている場合、友人の言葉は自分自身の認識と一致し、「自分は十分にやれていないのでは、と不安に感じてきたけど、やっぱりそのとおりだったんだ。」と、これまで抱いてきた自分自身の解釈への信憑性をさらに強めることになります。そして、「自分は十分な存在ではない」という認識と一致するような出来事が起こるたび、その認識は強固なものとなっていくのです。

この普段から持っている自分への否定的な考えを、目の前に取り付けられたフィルターだとイメージしてみましょう。起こった出来事はそのフィルターを通った後に情報としてかたち作られ、脳へと送られます。上にあげた例の二番目の子供は、友人に責められたことによって、「自分は十分にやれていない」、というフィルターが刺激されました。そして、かなりの差を縮めて2位でゴールした、という事実が、そのフィルターを通ることにより、皆が期待したにもかかわらず、自分はそれに応えられなかった、自分はやっぱり十分なことをやれない人間だ、という情報になります。このようなプロセスを繰り返すことで、「自分は十分にやれていない」というフィルターは、より強力な存在になっていきます。このフィルターが刺激、活性化されると、過度の緊張感が生じるものです。緊張し体が硬くなったら、生き生きとした気持ちでその場を楽しむことも困難になるでしょう。

「自分の持っている力が信じられ、適度の緊張感とリラックスが保てる時に、持っている実力を最大限に発揮できる」、と多くのアスリート達が語っています。これは、私達の日常生活においてもいえることかもしれません。


#大人のトラウマ:Bさんの場合
このように考えると、大人の自分自身への否定的な認識は、子供時代からの数々のトラウマにより強められ、より大きな影響力を持っていると考えられます。治療の場面で、幼少期に確立したフィルターの存在によって、どれほど多くの大人が傷ついてきたか、ということに驚かされます。
 
ここで、ある女性患者、Bさんの例を挙げてみましょう。
Bさんは、小学2年の男の子と6年生の女の子のお母さんです。6年生の娘は幼少期から、気に入らないことがあると暴れたり大声をあげ、Bさんはそれを鎮められなかったために、子育てをうまくできないという自信喪失と、娘を愛しいと思えない罪悪感に悩んできました。

娘は成長するにつれ、母親のBさんを乱暴な言葉で罵るようになりましたが、時には極端に甘えることもあり、Bさんは、それに応えたくない気持ちと、母親として娘を甘えさせるべきだ、という葛藤で混乱していました。Bさんが、娘が激しく感情を表現したり甘える場面について話す時、最後にはいつも同じような言葉が出てきました。
「私が子供の時は、親にあんな言葉を使うなんて絶対に許されなかった。」
「親が厳しかったから、甘えていいなんて思わなかった。」
自分ができなかったことを、娘が躊躇せずにやり、自分がしてもらわなかったことを、娘にはやってあげなければならない、ということに納得がいかず腹をたてていたようです。

Bさんの両親はたいへん厳しく、少しでもわがままを言うと激しく叱責し、時には手をあげることもあったため、Bさんは、親に怒られないように常に気をつけていたそうです。そして、わがままを言わずに、親に勧められることを受け入れる子供として育ちました。しかし、自分が母親となり、娘のわがままを許せないと感じる自分がいることに触れ、これまでどれほど自分の気持ちを抑え、親に嫌われないように生きてきたか、ということに気付き始めました。

治療が始まって半年程たったある日、Bさんが「娘の話をしているうちに、私の中にある小さかった自分が出てきて、“私ができないことをするなんてずるい、そんなの絶対許せない”、という気持ちになるんですね。娘がわがままを言ったり、甘えたりする時は、私は母親としてではなく、子供の時の自分に戻っているような気がします。子供の私が、娘のことを、あんな子嫌い、って思うんですね。」と話しました。母親として娘を愛せないのではなく、自分ができなかったことをいとも簡単にやってのける娘をみると、子供時代の我慢していた自分が呼び覚まされて嫌悪感を感じるのだ、という理解に至り、Bさんはずいぶんとホッとしたようでした。

Bさんが自分自身の幼少期を振り返ると、これまで抱いてきた自分への否定的な認識は「私は正しくない」ということです。Bさんは、自分がしたいように振舞うと、必ず親に叱責された、という認識を持っています。その時の親の嫌悪感を持った表情や、冷たい声を忘れたことはないそうです。実際に、Bさんは4歳の時に怒られ、母親から子供には受け入れ難い言葉をむけられたことを、今でも覚えています。

そのような出来事は、「たまには、あれぐらいのことをしてもいいじゃないか。そんなに怖い顔をしたり、きついことを言うなんてひどすぎるよ」や「うちの親って他の家の親より厳しいみたい」や「なんかいやなことがあってピリピリしているのかな」といった解釈があてはまるものだったかもしれません。

しかし、Bさんが親に過剰に叱責された、という事実は、「私は正しくない」というフィルターを通ることによって、「私が自由に振舞うといけないことをする」という解釈に導かれたようです。そしてこの繰り返しが、自分が周りにコントロールされることを強化してきたのです。無意識に我慢することを選んできたのですが、それを考えることもなく自然にやってきたということは、いかに徹底して自分の感覚を抑えてきたか、ということを物語っています。しかし、自分とは正反対の娘の振る舞いによって、Bさんは我慢してきたことを突きつけられ、自分の心の中に生じる憤りを治められずに苦しんできたのでした。


#トラウマをどのように癒していくか
これまで示したように、別々のトラウマもひとつのフィルターを通って作られることがあります。そのフィルターを通ることによって引き起こされる反応が、その人の性格だと把握されるのかもしれません。誰もが自分固有のフィルターを持っているのです。

傷つけられたと感じた時に、腹がたつことは健全な反応です。その不満を相手に伝えたり、「ひどいことをされた」と誰かにグチを聞いてもらったり、「あれは不当に扱われたのだ」と思えたら、その出来事は「思い出すといやなことだけど、あれはもう終わったことだ」と整理でき、過去のこととして捉えることができます。しかし、傷ついたのは、自分自身が否定的に捉えている自分の問題によって引き起こされたからだ、と解釈するならば、出来事そのものよりも、否定的認識に意識が向けられます。その時点で扱われているのは、ひとつの出来事ではなく、自分が長い間もち続けてきた自分に関する不変的な「真実」です。それを終わったことにするのは、簡単なことではありません。

トラウマを過去のものにするには、専門の治療が必要となる場合もあるでしょう。しかし、「自分の心の中に何が起こっているのか」を気付いていこうと意識することは、自分で踏み出す第一歩かもしれません。私達が日常生活を営みながら何かに傷つき、それを不当なことだと感じず、自分の人間性について思い悩む時、「今、何が起こっているのか」という意識が、一方向へ向かっていた心の動きを、一旦立ち止まらせてくれます。その出来事によって活性化された、自分自身に対する否定的な認識が何なのかを探ってみることで、自分に起こりやすい解釈のパターンが浮かび上がることもあるのです。この作業を大人ができるようになると、子供が受けた心の傷についても理解が増え、子供を支えていく中で、より安定感のある援助が与えられるのかもしれません。