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ニュースレター(機関紙)

-転勤妻- 現在そしてこれから (1)インドネシアの体験から帰国、転勤妻を立ち上げるまで
NL04080104
海外赴任

「転勤妻」について

「転勤妻」というホームページをご存じでしょうか?
当基金のホームページでも「リンク集」の「海外赴任手続等一般便利情報」として同サイトを紹介していますが、このサイトの中には、ご主人の海外赴任に帯同された(或いはこれからされる)奥様方のための「掲示板」も設けられています。
この掲示板は海外生活上の情報交換のみならず、悩み事なども共有できる自由なコミュニケーションの場として、女性の強い味方となっている人気サイトです。
つきましては、このサイトを主宰している大向貴子さんに、「転勤妻」をテーマに、海外生活における女性の立場、悩み事等について、ご自身の経験も踏まえて書いてもらうことにしました。
3回のシリーズとなる予定です。
「転勤妻」ホームページ:http://www.tentsuma.com
(編集部より)



-転勤妻- 現在そしてこれから (1)インドネシアの体験から帰国、転勤妻を立ち上げるまで


ホームページ「転勤妻」主宰
海外生活アドバイザー
大向貴子

1996年、誰ひとり知る人のいない異国の地インドネシア共和国で私の転勤妻としての生活がスタートしました。
悩んだ末にやりがいのあった仕事を辞めて帯同の道を選んだのですが、赴任当初は海外で自分という存在価値を見出せないつらく孤独な日々でした。
治安上の問題から一歩も家から出られない状態の日々。
日本では考えられないような大きな家で夫を朝送り出してから、たったひとりで深夜までただ夫の帰りを待つだけの毎日が続きました。
「仕事を辞めて海外に来たことは間違っていたのではないか」「赴任国が違っていたらもっと楽しい日々を送れたのではないか」毎日自問する日々でした。

振り返ってみると、もがきながら自分の目標となるものを懸命に模索していた日々だったのだと思います。
前向きに捉えることができるまでには何ヶ月もの時間が必要でした。
それでも一歩ずつつまずきながら、いつしか夫と二人で一から築きあげる生活にやりがいと楽しみを見出せるようになっていました。
自分なりの海外生活が軌道に乗り始めていたのです。

タイを皮切りに起こったアジアの通貨危機。
他のアセアン諸国同様、私が暮らしていたインドネシアでも通貨が大暴落しました。
電気料金・石油製品などが一気に高騰し、民衆の生活状況はさらに悪化していき、治安の更なる悪化を私自身も日々感じ始めていました。
そんな状況下の98年5月12日、ジャカルタの大学で行われていた集会中に学生が軍によって射殺されるという事件が起きました。
この事件をきっかけに民衆の不満が一気に爆発し、歴史に残る大暴動へと発展していきました。

当時、首都ジャカルタに滞在していた邦人は日本政府の退避勧告を受けて、インドネシアからの脱出を余儀なくされました。
私の住んでいたアパートの周りからも火の手があがり、状況は刻一刻と悪化の一途をたどっていました。
恐怖で震えるひざを抑えながら最低限の身の回りの品だけをまとめ、やっとの思いで空港からシンガポール行きの飛行機に乗り込みました。

その後情勢が落ち着き、ジャカルタに戻ってからまもなく日本への帰国辞令が夫に下されました。
私の転勤妻としての日々はあっけなく幕を閉じることとなったのです。
あらかじめ言い渡されている赴任任期を予定通り全うするのと違い、いきなり遮断されるように終わりを迎えた生活。
インドネシアに心のなかだけでも別れを告げる暇すらもありませんでした。
後ろ髪を強く引かれる思いで日本行きの飛行機に乗ったことを今でも鮮明に覚えています。

感傷に浸る余裕などないうちに今度は日本での住居探しから始まる生活の立ち上げに必死にならねばいけない毎日が待っていました。
気持ちの切り替えをできないうちからすべきことをこなしていく日々は生活が落ち着いたその後に急激な虚脱感を招く結果となったのです。
健康上とくに問題があるわけでもないのに何事にもやる気が起きない。
まるで心だけが置き去りにされているようで、前向きになれない自分自身に自己嫌悪になる連続でした。
大きな穴があいてしまったような、或いは燃え尽き症候群とでもいうのでしょうか。
政変や騒乱などのない安心して生活できる日本にいるのに充実していると思えない時間だけが流れていきました。

そんな中で思い浮かぶのはインドネシアでの日々のことばかり。
ニュースなどで流れるインドネシアの風景を見るだけでもなぜか涙が流れたのです。
想像以上につらいことがたくさんありましたが、それでも精一杯がんばって築きあげた生活。
あの日々があっさり消えていくのがたまりませんでした。
「このまま日本での生活に埋もれ、気がつくとあのインドネシアの日々がただの思い出になってしまうのか」
焦りにも似た気持ちが日々増してきたのです。
どうしても自分自身の足跡をどこかに残したい。
「何かの形に残せないだろうか」
つき動かされるよう考えはじめたときに赴任当初の孤独だった日々に思っていたことを思い出していました。
「同じ立場の人たちの声を聞いてみたい」

このふたつの思いから世界中の人とコミュニケーションをとれる手段であるホームページの立ち上げを思いついたのです。
「転勤妻」http://www.tentsuma.comのスタートでした。
これが私にとって虚脱感から抜け出られる大きなきっかけとなりました。(続く)