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ニュースレター(機関紙)

海外巡回健康相談に参加して(インドネシア)
NL04040103
インドネシア、医療事情

山口労災病院外科部長 加藤 智栄

海外巡回健康相談インドネシア・チームは世界66カ国で巡回健康相談を経験されている健診の大御所・慶応義塾大学医学部小児科教授:南里、オールマイティを目指して外科医になったがECG運搬係を兼務する山口労災病院外科部長:加藤、度胸満点・火の国生まれの少しナイーブな女性で関西弁を巧みに操る中部労災病院整形外科病棟看護師長:仲本、清水次郎長の血が少しながれるせいか、強面の海外邦人医療基金業務部部長:増田の4人で構成された。

この4人がバタム、メダン、スラバヤ、バンドンの4都市に住む邦人の健康相談をすべく、2月1日成田に集結し、翌日、首都ジャカルタに向け出発した。  

ジャカルタでは外務省の方や邦人の迎えはなく、医薬品や心電図の通関が危惧された。しかし、経験豊富な南里教授が「こういうときはポーターを使えば問題ないよ」とポーター2人を呼び、さっさと通関させてしまった。これに気を良くした増田氏は多額のチップをポーターに渡し、ポーターともども大喜びした。これが良いか悪いかは神のみぞ知るだが、わが医師団にとってはさい先の良いスタートだった。ホテルに到着すると入り口のところでボディ・チェックがあり、安全な国ではないのだなと思った。水道の水も飲むことはできず、とうとう水と安全がただでない所にやってきたなあと思った。

バタム

ジャカルタで体制を整え、2月3日バタムへ向かった。空港には日本人会の方の迎えがあり、ゴルフ場内にあるバタム・ジャパンクラブまで車で送っていただいた。日本国内の運転と違いすこしでもスペースがあれば強気で我先に割り込んだり曲がらないとうまくいかないのが当地風で、信号が赤に変わってもしばらくは走るのが常識のようであった。車で我先に行く姿勢が仕事にも発揮されればこの国はもっと発展するのにと言う声も肯けた。人も自転車もバイクも車も絶妙なタイミングでぶつからずに動いていることに感心し、このような半ば無秩序状態が交通渋滞を引き起こさないのに貢献しているような気もした。

バタムには正確には把握できないが約60万人が住んでおり、シンガポールから目と鼻の先の距離にあり(船で30-40分)、華僑が島の開発に大きな影響を与えたとのことであった。特に資源がある島ではないので関税をなくし安い労働力を提供することで企業を誘致し発展してきたが、税金がかかるようになるかもしれないとのことであった。島のあちこちで集合住宅風の建設が進行し、乱開発の印象をうけた。また、幹線道路の一部はまだ舗装されておらずこれから発展する街かもしれないし、状況によってはおかしくなる街かなと思った。ジャパンクラブで翌日の健診の準備を行った後、現地の医療状況を拝聴した。バタムに住んでいる250人ほどの日本人のほとんどが単身赴任者でホテル住まいか工業団地内の会社所有の共同住宅で生活をしているとのことであった。中には家族がシンガポールにいて月曜から金曜まではバタムで働き、土日はシンガポールに帰る生活をしている方もいた。

バタムでの医療は信用ができないので病院に行く必要がある場合はシンガポールまでいくとのことであった。いかに現地の医療が信用できないかの例として、「工場で働いている現地の人が工場でフォークリフトに足を挟まれたため病院にかつぎ込んだ。輸血を受け一旦は良くなって退院したがその後黄疸が出て再入院しそのままなくなってしまった。素人目には骨折もなく大した傷とも思われなかったのに」と言う話を聞かされた。

翌日の健康相談には29人の受診があった。街中を歩くことは危険で(一人歩きも危険だが集団で歩いている場合は最後尾の人がねらわれもっと危険だそうである)、移動には専ら車を使わなければならず運動不足気味の人もおられた。肥満傾向・肥満、ヘビースモーカー、高血圧ぎみの人もかなりみられるため減煙とゴルフによる減量をすすめた。適度な運動により血圧も正常化する可能性があり、当地ではゴルフが安全ですぐにできる環境にあるのでゴルフが健康維持に最適と思われた。

メダン

2月5日バタムからスマトラ島北部のマラッカ海峡側に位置するメダンへ飛んだ。上空から見るとトタン屋根が多い印象を受けたが、バタムよりは緑が多かった。飛行機が速く着いたため、迎えの人がしばらく現れず、20分ほど待たなければならなかったがちゃんと来られ、ホテル・ティアラに移動した。バタムでもそうであったがここのホテルでの円の換算はやけに低く1円が50ルピアであった。インドネシアは日本がODAでもっとも多額の援助を行っている国のひとつで、2001年インドネシアが外国から受けている援助総額の62.5%は日本からものと書かれているにもかかわらず、なんでこんなに安いのかと半ば憤りを感じた(ジャカルタのホテルでは77ルピアのところもあった)。ここで宿泊をし、健康診断も行う予定であったのでチェックイン後、会場の下見をした。市場見学の予定であったが鳥インフルエンザの報道がなされ、にわとりの近くに行くことが憚られ市場見学は中止となった。その代わりよく利用するという会員制のスーパーに案内していただいた。ここのスーパーは清潔で私たちにとっても違和感がなかった。

メダンの人口は約200万で100~120人の邦人が住み、そのうち70人程度が日本人会に属しているとのことであった。領事館もあり比較的落ちついた街の印象で、バス通勤をしている女性や永住希望者もいたが、ここでも日本人が街を歩くのは危険とのことであった。邦人は単身赴任者もおられたが家族で生活されている方もいて、ホテル住まいか警備員を雇って高級住宅街に住んでいるとのことであった。

翌日、31人健診。大きな健康上の問題がある方はいなかったが、右前腕にしびれがあると言われた方は頸動脈の拍動は良好で血管雑音もないものの高血圧、40本/日(1日20本・20年間の喫煙は肺癌の危険因子である)の喫煙、心電図での虚血性変化が見られ脳血管と心臓の精査をすすめた。

高血圧や肥満傾向のある人はバタムより少なかった。自由に外出ができないので運動不足気味の人もみられたが、ゴルフやテニスで運動不足を解消している方もおられた。病院にいかなければならない場合、マレーシアのペナンか、シンガポールに行くとのことであった。
 
休日---ブラスタキ果物市場視察

2月7日、この日は休みであり、バタン郊外、標高800mにある保養観光地ブラスタキを訪れた。丘の上から火山と富士山のような形をした山を眺望することができた。果物市場を視察したが、増田氏が期待したランブータンはなかった。ドリアン、マンゴスチン、マルキッサ、オレンジ、バナナ、柿、スイカ、その他種々の果物がとても安い価格で売られていた。イチゴも売られていたが貧弱でおいしそうでないのに一粒ずつ並べられ小さなケースにはいっていて高級品扱いであった。仲本さん念願のドリアンを買って食べてみた。南里先生は3回試みたことがあり遠慮されたがあとの3人はおいしく食べることができた。味はフルーツチーズとでもいったところか。言われているほど臭いは気にならなかった。日本では当地の果物はとても高く、イチゴはおいしくて安いので所変われば品変わりか、品は変わらないが価値変わりか、と思った。

スラバヤ

2月8日、メダンからジャカルタへ飛びさらに空路スラバヤへと移動。日本人会の方が空港内まで迎えに来ておられた。迎えにおいて、いままで不遇であった増田氏は一安心。スラバヤはジャワ島東部に位置し人口約600万人、インドネシア第2の都市で、スカルノ大統領はこの街の郊外で生まれたそうである。オレンジ色の瓦葺きの屋根が目立つ。高速道路、立体交差があり大都市であることを伺わせた。街は比較的整然としていたが、交通事情は他の都市と同様であった。日本人学校、領事館があり比較的安全な街のように思われたがここでも日本人が街を歩くことは危険らしかった。ホテルに入る車は厳重にチェックされ、その後もホテルの入り口まではスピードが出せないように蛇行運転させるための障害物が置いてあった。さらにボディ・チェックがありホテルに入ることができた。テロへの警戒は怠っていないと思われた。

スラバヤには日本人は約1000人が住み600人ほどが日本人会に入っていて婦人部もあるとのことであった。単身赴任者もいるが、日本人学校もあり家族で来ている方も多く、マンションや一戸建て住宅に住み、運転手、メイド、警備を雇っているとの事であった。日本人学校には小学1年から中学3年まで約60人の生徒がいて、併設の幼稚部にも18人の児童がいた。 

2月9日、午前7時30分にホテルを出発し、タマネギ型をした(何か他の言葉があったような気もするが)ペルシャンブルーの屋根をもつ美しいイスラム教大寺院の横を通って日本人学校へ。学校は金網で囲まれており、学校に入る前に車のチェックがあり爆発物等がないことが調べられた。

約75名検診、小学1年生、中学1年生は心電図健診も行った。現地の人と結婚している人もおられた。後で聞いたことであるが現地の人と結婚する場合宗教を一致させる必要があり、イスラム教では赤ちゃんの時に男子だけでなく、女子も割礼をするそうである。

2月10日、前日と同様、児童を含め約75人健診。風邪症状を訴える人が数人おられたが、両日を通じて健康上の問題のある人はいなかった。水が濁ったりするので風呂に浸かっている人は意外に少なくシャワーを使っている人が多いようであった。飲料水はミネラルウォーターのタンクを配達してもらって使用しており、学校内にもこのタンクが備え付けられていた。

大人にとってはかなり不自由があるようでもあったが子供は皆こちらの生活が楽しいと言っていた。いじめもなく、先生との関係も良好なようであった。日本では一クラス30~40人だが、ここでは一学年で10人に満たないのであるから個性に合った教え方も可能なのかもしれない。日本では少子化傾向にあり、落ちこぼれやいじめの問題もあり、教員資格を持った人があふれているのだから、日本の学校でも一クラス20?30人とし、もっと教育にお金をかけたら本当の意味でのゆとり教育ができて良いのではないかとも思った。そんなのびのびと育った子供達も中学3年になると日本の学校の高校受験を受けるようであり、いつまでも楽しくと言うわけには行かないようであった。

病院に行かなければならない場合、スラバヤ・インターナショナル病院かミトラ・クルアルガ病院を受診するとのことであった。日本人学校の先生方はミトラ・クルアルガ病院で健康診断を受けておりこの検診結果も参考に診察させていただいた。コレステロールの正常値上限は日本では220であるがこちらでは200に設定されており、かなりの人が高コレステロール血症と診断されていた。

2月11日、南里教授の講演を拝聴した。講演会後私と仲本師長は婦人会の方の案内で私立ミトラ・クルアルガ病院を視察した。何故か連絡がうまく伝わってなくて最初に応対に出てきた人は英語がほとんど通じなかった。しばらくして英語が通じる女性のコーディネーターが現れ、病院の概要を知ることができた。この病院は5年前に建設されたきれいな病院で、ベッド数1050床、医師数105、看護師約300、ICU(4床)、NICU(4床)、透析(3台)、CT、MRI、GE製超音波装置が備わっていた。手術室は3部屋あり、整形外科手術として骨折、股関節置換の手術を行っているとのことであった。外科手術としては腸切除は行っているが食道、胃、肝臓、膵臓、肺、心臓血管の手術は行っていないと説明された。コーディネーターの説明なので手術数や成績は不明であった。「きれいな病院ですね」とほめると、「設備はいいのだけど治療が今ひとつなのよ」と笑顔で答えられた。救急外来は9人の一般医が担当しており8時間交代、各勤務帯1人で診ており、急患として多いのは心臓発作、喘息、腹痛、外傷などとのことであった。途中から女性の一般医が病棟を案内してくれた。ベッドのランクにより基本入院料は異なり、S-VIPルームは広く患者用ベッドのある部屋とソファーベッドが置いてある部屋があり、2台のテレビ、電話、冷蔵庫、トイレが付いていた。S-VIPの料金は85万ルピア(約11,000円)、VIPルームは個室で55万ルピア、ファーストクラスは2人部屋、セカンドクラスは2~3人部屋、サードクラスは5~6人部屋で10万ルピアの料金になっていた。各部屋とも日本の部屋より広かった。最低賃金が50万ルピアと聞いたので裕福な家庭でないと入院できないと思われた。市内には成人の心臓外科手術も行っている公立のドクター・ストモ病院もあるが、日本人の目から見れば野戦病院みたいな所であると説明を受けた。

バンドン

2月11日、バンドンに移動。上空から見ると緑が非常に多い街でオレンジ色の瓦葺き屋根が目立つ。夕方、空港に降り立ち外気の涼しさをインドネシアに来て初めて自覚した。直径1m以上ある樹木の並木道、洋風の建物がならぶ町中を進み、標高840mの高さにあるバンドン日本人学校に検診道具を運んだ。

バンドンは人口約200万人、標高約800mにある学園都市で、大学の数は短大も含めると50以上あるそうである。また、ジャカルタから比較的近く日本の軽井沢みたいな性格もあり、裕福な人が多くて治安も良く日中市内を安全に歩けるとのことであった。バンドンはかつて300年以上オランダ人が統治していたという話を聞かされ、洋風住宅はその面影かとも思われた。日本人学校も200年ほど前にオランダ人が住んでいた建物を改造して使っているとのことで一学年2~3人が十畳ほどの部屋で授業をうけているようであった。都会の中の山村の分校とでもいうイメージを受けた。

2月12日、8時にホテルを出発し、日本人学校で健診を行った。小学1年生と中学1年生は心電図健診もおこなった。糖尿病が2名発見され、精査加療が必要と判断された。しかし、私が診させていただいた方々の中には収縮期血圧150mmHgを越える高血圧の方やBMIが28を越える肥満の方はおられなかった。バンドンではほぼ安心してかかれる医療機関があるようであり、また、ジャカルタが比較的近いのでジャカルタで医療を受けることもあるようであった。バンドンはこれまでの3都市と比べるととても過ごしやすい都市であると感じられた。

ジャカルタの医療事情

2月13日にバンドンからジャカルタに移動し、SOS インターナショナルクリニックやMedikaloka Clinicの日本人医療相談室を訪問した。SOS インターナショナルクリニックではSARSをチェックするためか、来訪者全員の体温をチェックしていた。直接体に触れることなく体温がチェックできる体温計(ThermofocusR)を使用しており、自分の病院でも導入すればよいのにと思った。首都ジャカルタには1000万人以上(日本人は約1万人)が住んでいるが、この2つの施設では、日本語で安心して外来治療が受けられるようであった。また、成人に関しては市内の病院で入院治療も問題ないようであった。ただし、8歳未満の小児の手術等は全身麻酔や術後管理に問題があり時間が許せばシンガポールでの治療のほうが良いとSOS インターナショナルクリニックのジョハン先生が流暢な日本語で説明してくれた。

Medikaloka Clinic内の日本人医療相談室には事務局にインドネシアの方と結婚されたオカさんがおられ、邦人の健康相談に活躍されているようであった。私たちが訪れたときは医師が不在になっている期間であったので苦労されることもあると言われていた。このクリニック内には内科、外科、整形外科、皮膚科などがありトレッドミル心電図や内視鏡検査ができるようであった。また、日本の病院で研修をうけた看護師さんもおられ、日本人にとっては安心して初期医療が受けられる貴重なクリニックと思われた。

おわりに

インドネシアの風土、文化、そこで生活されている邦人の方々に健康相談を通じて接することができたことは、私にとって貴重な経験でした。今回の2週間にわたる健康相談行脚が少しでもインドネシアに住む邦人の健康維持に役立つことを祈っています。無事終わることができたのは様々な方々の善意があったからと感謝しています。