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ニュースレター(機関紙)

海外巡回健康相談に参加して(モンゴル・中国)
NL03120103
モンゴル、中国、医療事情

海外勤務健康管理センター
研究情報部 医師 津久井要


 今秋10月前半、約2週間にわたりモンゴル(ウランバートル)および中国北部(五都市)に平成15年度中期海外巡回健康相談の一員として参加させていただきました。医療者の観点からの報告は別途させていただいておりますが、編集部より「あまり硬くならない内容で読み物風な報告を」というご依頼がありましたので、やや紀行文の様相を呈しますが、印象に残ったことなどをいくつか書かせていただければと思います。

モンゴル(ウランバートル)

 これまで筆者は中近東、旧東欧、インドなどへは海外巡回健康相談で出張したことはありましたが、モンゴルと中国には今回初めて訪れました。ウランバートル国際空港に着陸したのは夕刻でしたが、飛行機から俯瞰したウランバートルの印象は‘砂漠の中の街’というもので、夕陽を浴びた街全体が赤錆色に輝いていました。

 空港内で目に付いたのはキリル文字(БГДПФЭЮЯбгджйなど)表示で、全体の印象は、アジアというよりロシアやブルガリアなどの旧東欧諸国と類似したものでした。モンゴルは政治的に中国より旧ソ連と親密であった経緯があり、文化的にもアジア圏というより旧ソ連圏の色合いが濃く残されていました。このためか、中国と比べ異国情趣が強く感じられます。この感覚は、ウランバートルの街並み、レストランの雰囲気やメニューの内容からも強く受けました。空港からホテルへ向かう車窓からは、明かりが点在する人家の上空にこれまで見たことがないような煌煌と輝く月と無数の星が眺められ、近年、日本人観光客が夏季に多く訪れるということも頷けました。

 私たちが滞在し、また健康相談業務を実施したFlower Hotelは邦人が経営するもので、シニアJICAの方をはじめとする多くの邦人の方々が長期滞在し、ビジネス、国際協力などの事業に参画されていました。ホテル内には、いわゆる大浴場や日本食レストラン、そしてバーもあります。建物は新しくはありませんがよく整備されており、昭和の香りが漂うレトロでロマンティックな感じです。多くの邦人が単身赴任であり、ここの大浴場やバーで心身を和ませている様子がうかがわれます。しかし、医療面では、やはり邦人にとって安心して受診できる医療機関は少なく、中高齢の多くの方々が、高血圧症、高尿酸血症、糖尿病などを抱えての赴任で、定期チェックは受けずに治療薬のみを日本から調達しているケースがほとんどでした。邦人にとり、救急医療と継続医療の困難さが、当地でも見受けられました。

 ホテルでの相談室の正面には官営アパートのようなものがあり、その前にタイヤや縄ロープで作られた子供用玩具を備えた公園がありましたが、昼間でも人影はまばらで、うら寂しい限りです。日本の約四倍という国土に240万人の人口であるためでしょうか、フィリピンやインドなどで見られるような人と動物とバイクと車が渾然一体としたカオス的状況はここにはみられません。

 健康相談が終わった後、夕闇の迫る中、車で市街地のゲル(モンゴル遊牧民のテントのような移動式住居)に住む人々が多くいる居住地域の周囲を走りました。暖房用の木炭を燃やす煙がもうもうと立ち上り、各ゲルにいる多くの番犬がウロウロとする中、人々は夕餉の準備に忙しく立ち働いていました。聞く所では、上下水道は完備されておらず、トイレも適宜という状況であり、生活環境は衛生面からは劣悪ということです。しかし、大家族で暮らしている人々の表情は必ずしも暗いものではありませんでした。本来遊牧民族である人々が、一定の地域に居住せざるを得ない現代の矛盾を垣間見た気がしました。

 モンゴルの滞在は2泊3日、出発の日は朝5時のチェックアウトとあわただしい日程のため、お土産をみる時間はほとんどありませんでした。そんな中、チェックアウトの際、領収書と一緒にホテルの受付の女性が、山羊の皮に馬の絵が描かれた小さなお土産をそっと手渡してくれました。

中国(西安、青島、煙台、天津、北京)

 ウランバートルから空路北京経由で西安に入りました。モンゴルの心象が淡い色彩の無声映画であるとすれば、中国のそれは濃い色彩でいろんな音がしてくる有声映画です。人は多く、皆何か喋っており、色々な音と匂いが渾然一体となっています。凄い活気がみなぎり、アジア的カオスが感じられました。

 西安はちょうど国慶節休暇の最中。路地には露店が並び、公園では凧がたくさんあがり、人々が散歩や買い物を楽しんでいました。人々の服装は決して華美ではありませんが、小奇麗で表情は東京でみる日本人のそれに比べ、はるかに豊かなものでした。我々のチームには、中国人の方が通訳として、以降随行してくれました。40歳男性で菜食主義者。丸顔で終始笑顔を絶やさずニコニコしており、「僕、暴力は嫌いネ」といっていましたが、実は少林寺拳法の有段者で、二の腕などは筆者の太ももくらいあります。いろいろなことを話しましたが、様々なことに確固たる見識を持つ律儀な人柄であり、現代中国の良識という側面にふれた気がしました。

 シルクロードの起点でもある西安は内陸に位置し、晴れる機会が少なく昼頃までスモッグが立ち込めることが多いためか、睡眠覚醒リズムが不調になっている邦人が少なくありませんでした。

 西安と比べ歴史は約100年とはるかに浅いものの、青島は海辺に高層ビルが立ち並ぶ近代的都市です。ちょうど、奈良と神戸のような対比でしょうか。ドイツ軍に占領された歴史の名残で、ヨーロッパ調の赤い屋根をもつ家屋が美しく点在し、海沿いの高台には富裕層の所有する別荘が建ち並び、ちょっと中国とは思えない様相でした。こちらでは、病院視察として青島市市立病院東分院を見学。副院長に面談する機会に恵まれました。病院経営が大変なのはどこも同じ様子で、中国では、病院は公立でも基本的に独立採算制であるとの見解でした。中国は、政治は共産主義、経済は資本主義、とよく言われますが、医療においては、日本よりはるかに資本主義的制度が採用されているのには驚かされました。病院の6階には大変きれいな外国人クリニックとVIP用の入院施設(全て個室)が用意されており、外貨を持つ外国人は重要なターゲットの一つの様子でした。40代前半の副院長はバイタリティー溢れる調子で、我々の質問に大きな声で明快に答えてくれました。

 煙台は、同じ海辺でもいわゆる裏日本の漁港のような静かな街でした。ホテルは海辺のすばらしい立地条件でしたが、あいにく、台風並みの低気圧が通過中であったため、強い風雨、荒れる波、の中での健康相談となりました。たまたま、当地日本人会の懇親会に同席させて頂く機会を得ましたが、皆さん、大いに飲み、肩を組み大声で歌い、盛会裏に終わりました。現代では既に失われて久しい、昭和30~40年代頃の情緒的つながりの強い日本社会を髣髴とさせるものがあったように思います。

 ここでも、医療施設や教育環境などの条件により単身赴任の方が多く、健康管理が難しそうです。午前中の診察のさい、「γ―GTPが高いといわれているのですが、どうしたらよいでしょう?」と相談をされた方がおり、アルコールを控えることを含め種々のアドバイスをさせてもらったところ、「よーくわかりました。ありがとうございました。」と言って帰られました。しかし、その方が、日本人会の懇親会とその後の我々との夕食会で、大いに飲みながら「先生、飲んじゃって、すんませんね・・・。ここに独りでいて、ずーっと仕事していると、どうしても気がつくとこうなっちゃって・・・」と初老の薄い髪をかきながら頭を下げられました。滞在したのはたった3日でしたが、確かに、この地では飲まないと現地の人々との信頼関係が構築しにくい社会背景があること、他に適切なストレス発散の場が見当たらないこと、などを考慮する時、医師として何と言葉をかけたらよいのか、荒れる夜の波頭を眺めながら考えさせられました。

 その晩、彼の案内でスタッフ一同、当地での数少ない娯楽(?)の一つであるという足裏マッサージを体験させて頂きました。4人がソファーでズボンの裾をめくってリラックスしていると、やおら桶をもった4人のスタッフが現れ、生姜のような漢方薬の入った極めて熱い薬湯に約20分間、足を浸されます。体が温まり、額から汗が落ちるようになる頃、別の4人のスタッフが現れ、爪と踵など足裏の手入れを入念にしてくれました。隣の席の鈴木先生は、背が低くなってしまうのではないかと思われるくらい、ボソボソと踵を削られていました。これが終わるとまた別の4人が入ってきて、ツボを丁寧に押してくれます。この4人が、足を叩くマッサージの時、皆でリズムを揃え、タン、タン、タタン、タン、タン、タン、とやるのでまるで民俗芸能のようでした。まだまだ続くのですが、こうして、約90分のシステム化された足裏マッサージが終わりました。金額もリーズナブルで、これも、まさに‘中国式’足裏マッサージと了解しました。師長さんは「私、生まれてからこんなに足の裏を丁寧にケアしてもらったことないわ。」と感想を話されていました。

 天津は日本で言えば横浜のような大都市。日本人学校もあり、家族帯同の赴任者も多く、環境的には恵まれた地と思われました。天津には7階建ての伊勢丹が出店していますが、これが大賑わいで経営も良好とのことです。日本・中国の平均年収の差異などを考慮すると、やや意外な感じがしますが、母集団の大きさが違いました。天津市の人口は約1000万人。その内、5%くらいがお金持ちであったとしても、50万人が富裕層となるわけで、膨大な市場となります。中国の12億7627万人(2001年)といわれる人口を考える時、平均概念によってこの国の概要を把握することは、ともすれば大きな誤りになる可能性を思いました。中国には、富裕層、優秀な人、特殊技能を持つ人、などが、たとえ比率が低くても実数としては他国の及びもつかない桁数で存在する可能性を忘れてはならないでしょう。

 北京では、2回タクシーを利用しました。最終日の午前中、天安門広場へ行こうとしてホテル待ちのタクシーに乗りました。事務担当の中村氏が中国語に堪能でしたので、中国語で行き先を告げると、何やら運転手が例の中国語の抑揚をさらに倍加させた大きな声で怒鳴り始めました。リア・ミラーでのぞくと、首の太い大柄の人で、額と首の静脈を怒張させ、凄い剣幕です。運転はものすごく荒くぶっきらぼうで、怒りのあまりどこかに衝突しそうな勢いでした。筆者がおびえていると、中村氏が何か一言中国語で言いました。すると、急に運転は穏やかになり、リア・ミラーでみる表情からも険が消えていました。一同、無事タクシーを降りたところで胸をなでおろし、中村氏に仔細を聞きました。すると中村氏が「天安門広場まで」と言うと、運転手は「どうして朝の6時半から2時間も待っていてそんな近い行き先なんだ!」と言い、‘これじゃ生活があがったりだ’式のことを言いながら怒り続けたとのことです。身の危険を感じた中村氏が途中で「お小遣いをあげるから」と言ってなだめると、急に収まったとのこと。海外に行くと、こういった類のトラブルは少なからず経験しますが、これほどの剣幕に出遭ったのは筆者は初めてでした。少なくとも、日本人の運転手では未経験であり、中国外交の自己主張のしたたかさと通底する異文化を感じました。しかし、帰りにホテルまで乗車したタクシー運転手さんは好々爺とした人の良い人で、短い距離ながらいろいろと街並みの説明などをしてくれ、いたく親切でした。中村氏が「同じ中国人で、どうしてこうも違うのかな・・・」とつぶやいていました。

 中国を回って個人的に思いましたのは、日本と共有している側面の多さです。例えば、通常、海外へ行って街並みを眺めていて看板や標識を見ても、予め単語を知らなければほとんど了解できませんが、中国では、おおよそ何が書いてあるか理解できます。また、中国の方とは話し言葉は全く通じませんでしたが、紙に漢字を書けばコミュニケーションはとれ、不思議な親近感を覚えました。漢字文化は大切な共有財産であると言えましょう。そして、肌の色や体格も日本人と類似しており、いわゆる海外に降り立った時に周囲から誘発される緊張感は余り湧き立ちませんでした。今回の巡回健康相談の経験を通して、隣国中国の可能性と重要性、そして意外なまでの共通事項に改めて気付かされ、今後の両国関係の良好な発展の必要性を身近な体験から実感した2週間でした。