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ニュースレター(機関紙)

感染症ノスタルジア(3)「病室から洩れる赤い光・・・天然痘」
NL03010102
感染症、天然痘

海外勤務健康管理センター
濱田 篤郎

1.貞子の怨念

 鈴木光司原作のホラー小説「リング」はSF小説としても興味深い作品である。
 一本のビデオテープを観た少年少女が同日同時刻に死亡する。この原因を追及していた新聞記者の浅川は、ビデオに山村貞子という超能力者の怨念が潜んでいることを発見する。貞子は1966年に箱根の結核療養所で長尾という医師に殺されていた。彼女は入院中の父を見舞いに来た時に、長尾に犯され殺害されたのだった。そして、この時に長尾は天然痘に感染していたのである。それは日本で最後の天然痘ウイルスだった。この絶滅の危機に瀕したウイルスは、死の直前に貞子の体内に流入し、彼女の特異な能力を利用し復活を試みる。本来は空気感染するウイルスが、ビデオという視覚媒体により人間の体内に侵入するウイルスへと変化したのだった。すなわち、ビデオには貞子だけでなく天然痘ウイルスの怨念が潜んでいたのである。
 実際に日本国内では1974年以降、天然痘患者は発生していない。また1977年に東アフリカのソマリアで発生した男性患者を最後に、天然痘は地球上から根絶された。しかし、それまでの数千年の間、天然痘ウイルスは貞子の怨念と比べようもないパワーで、人間社会に不幸をもたらしてきたのである。

2.「ベルサイユのばら」のおぞましい光景

 「リング」の中で、ビデオを観た人々は心筋梗塞で急死しているが、実際の天然痘はもっと悲惨な病気である。
 空気感染により咽喉に付着したウイルスは、やがて血液中に侵入する。ここで患者の多くは高熱を発するが、それは、これから起こる不幸の第一幕に過ぎない。皮膚に到達したウイルスは、そこで増殖を開始する。顔や手足などに赤い発疹がでると、第二幕の幕開けである。発疹は急激に拡大し、皮膚全体を覆うようになる。そして全ての発疹が膿をもつようになった時に、患者は全身の痛みを訴えながら悶え苦しむ。それは、全身の火傷で皮膚が溶けおちる状況に等しいのである。
 この光景が池田理代子原作の劇画「ベルサイユのばら」で克明に描かれている。患者は主人公マリー・アントワネットの舅で、フランス国王のルイ15世である。ブルボン王朝の最盛期に君臨した王であるが、59年にも及ぶ治世の間に多くの領土を失い、国内的にも経済を疲弊させた。むしろ彼の名を有名にしたのは、その好色さで、とりわけポンパドール夫人やデユバリエ夫人は、彼の愛妾として歴史に名を残している。それだけにルイ15世は美男であったが、その最期は悲惨なものだった。

 1774年4月27日、彼は狩猟中に高熱を発し、ベルサイユ宮殿に帰還する。やがて彼の顔に不吉な赤い発疹が出現すると、宮廷内は大騒ぎとなった。近臣達は必死に王の介護をするが、これが祟って50人以上の者が宮廷内で天然痘に感染したという。それから数日後、発疹は予想どうりに膿をもち、激痛が彼の体を覆うこととなる。それとともに、美男として一世を風靡した彼の顔は、見るも無残に崩れ落ちてゆくのだった。5月7日に死を覚悟したルイ15世は、愛するデユバリエ夫人に宮廷を去るよう命ずる。それは死を目前にして神に懺悔する意味とともに、自分の醜い姿を見られたくないという気持もあったのだろう。そして5月10日、約2週間の苦しみの果てに、ルイ15世は他界するのだった。この一連の出来事を「ベルサイユのばら」では、ルイ15世の変わり果てた姿とともに、次のように結んでいる。
「ものすごい臨終の苦しみは終わった。黒々とふくれあがり、腐りはてて、顔も見分けがつかぬほどになったルイ15世の逝去であった」

3.エリザベス一世の白い顔

 ルイ15世のように、苦しみの極期に患者の半数近くは死に、残りの者はそれから1?2週間し回復を迎えた。しかし、それは完全な回復ではない。発疹は醜い痘痕(アバタ)となり、一生涯にわたり患者を苦しめるのだった。あまりの変わりように、女性が婚約を破棄されるケースも少なくなかった。この醜い痘痕を隠すため、顔に漆喰のような白い粉を塗る者もおり、これが現代のオシロイの起源となったそうだ。
 大英帝国の基礎を築いたエリザベス1世も、女王に即位してから4年目の1562年に天然痘にかかった。幸い一命はとりとめたが、それ以降、彼女の顔には生涯を通して痘痕が残っていたはずだ。これが理由で、彼女は生涯独身であったとする意見もあるが、真偽のほどは明らかではない。いずれにしても、彼女は公式の場で、いつも顔に厚いオシロイを塗っていた。映画「恋に落ちたシエークスピア」に登場するエリザベス一世も、その顔は異様なほどに白く塗られている。このような化粧が当時の流行だった可能性もあるが、彼女の場合は痘痕を隠すことが主な目的だったのだろう。
 天然痘の後遺症は痘痕だけではない。もし発疹が眼球にも及ぶようなら、失明の危機に瀕する。たとえば、作曲家のモーツアルトは11才の年にウイーン近郊で天然痘にかかり、その極期には9日間も視力を失っている。幸いにも視力は回復したが、もし失明していたら、この天才作曲家の音楽も大きく変わっていたことだろう。ちなみに、戦国時代の武将である伊達正宗が独眼であったのも、彼が5才の時にかかった天然痘が原因なのである。

4.農耕社会がもたらした不幸

 このように、天然痘は数千年にもわたり人間社会に不幸をもたらしてきたが、その流行はいつ頃から始まったのだろうか。歴史上で最初の確実な患者は、紀元前1157年に死亡したエジプト第20王朝のラムセス5世とされている。この王のミイラは今でもカイロの博物館に眠っており、その顔面には痘痕がはっきりと残っているのである。しかし、それよりもずっと昔から天然痘は存在していた。
 天然痘ウイルスは人間にしか感染しない病原体である。すなわち、人類が誕生した後に生まれたウイルスであることは確かなようだ。しかし人口が希薄な時代に、この病気が流行することはなかった。なぜならば、天然痘のように人から人へ空気感染する病気の流行は、人口密度が高いことが前提となる。そのような状況になるのは、人類が一定の進化を遂げて、農耕社会を形成する時代を待たなければならない。それは今から約6000年前のことだった。
 地球上のどこで天然痘ウイルスが誕生したかについては諸説あるが、東南アジアかアフリカのジャングル地帯とする説が有力である。ジャングルの中で、本来は動物に流行していたウイルスが、突如として人間に感染をおこしたのである。やがて流行は、その当時の人口密集地帯である4大文明の発祥地に及び、そこで猖獗を極める。

 ローマ帝国がエジプトやメソポタミアを支配する紀元前後になると、ヨーロッパでも散発的な流行が発生してくる。たとえば165年にシリアで勃発した流行は、166年にローマ市にも波及し、最終的には帝国全体の人口の四分の一が失われる大惨事となった。やがてイスラム勢力がヨーロッパへの進出を開始する7世紀になると、天然痘はヨーロッパに常在する疫病となっていった。
 日本には8世紀に天然痘が持ち込まれている。その当時は天平文化の最盛期で、中国や朝鮮からの渡来人も多かった。とくに737年に始まった流行は日本全国に拡大し、時の政治を牛耳っていた藤原四家の当主達が、全員死亡するという事態にまで発展した。この後も天然痘は日本国内に常在し、江戸時代の頃はかなりの猖獗を極めていた。幕末の頃に来日したシーボルトも、日本人にアバタ顔が多いことを驚愕した程である。

5.新大陸での大量殺戮

 16世紀の頃までに天然痘が常在する地域では、住民の多くが親から受け継ぐ抵抗力に守られて、必ずしも死に至る病ではなくなっていた。しかしこの時代になっても、新大陸では天然痘の流行が経験されておらず、その住民であるインデイオは全く抵抗力を持っていなかった。やがてヨーロッパ人が新大陸への侵入を開始し、各地で天然痘ウイルスを撒き散らす事態になると、インデイオ達は驚くべきスピードで死滅してゆくのである。その序曲は、1520年のコルテスによるアステカ帝国の首都テノチテイトランへの攻略戦に始まった。コルテスはアステカ側の頑強な抵抗により、一時は撤退も余儀なくされていたが、アステカ側の抵抗が突如として停止するのである。それは天然痘がインデイオの殺戮を開始したためだった。この機にコルテスは総攻撃をかけ、首都の攻略に成功する。これ以降もコルテスは各地で連戦連勝を重ねるが、それはインデイオの人口が天然痘により激減したためだった。この結果、アステカ帝国に住むインデイオの人口は、15世紀末の3000万人から、16世紀中頃には300万人にまで減少したのである。

 新大陸での流行は、その後も南米のインカ帝国に波及し、これがピサロによる征服を容易ならしめる。また17世紀の中頃には北米を席巻する勢いとなり、新大陸全体でインデイオの大量殺戮を招くのだった。
こうして新大陸も天然痘の常在地となるが、ここで一つ、アメリカ合衆国の歴史の中で、天然痘が関与した興味深い出来事を紹介したい。
 それは1863年にリンカーンの行った「ゲテイスバーグの演説」に関するものである。この演説は「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉で、ご記憶の方も多いことだろう。名演説として現代でも語り継がれているが、実はこの時にリンカーンは天然痘にかかっていた。すでに発熱がみられ、演説中は意識が朦朧としていたようだ。このため、演説の時間は僅か5分と異例の短さだった。演説が終了後、リンカーンは倒れるように列車に乗り込み、ワシントンに辿り着くのである。天然痘の初期は発熱で気分が高揚することが多い。リンカーンもそんな状態だったからこそ、名演説が打てたのかもしれない。

6.赤い光の効果

 イギリス人の外科医ジェンナーが種痘を開発したのは1798年のことである。彼は「牛痘にかかった搾乳婦は天然痘にかからない」という噂を耳にし、この快挙に至った。牛痘とは牛の天然痘で、現在ではその病原体がワクシニアウイルスであることが解明されている。このウイルスは人間に感染しても軽い発疹をおこすのみで、それ以上の症状はおこさない。そこでジェンナーは牛痘にかかった搾乳婦の発疹から膿汁を採取し、それを地元の少年に接種した。それから6週間後、ジェンナーは少年に人体実験を行う。天然痘患者から採取した膿汁を接種したのである。ところが少年は天然痘にはかからなかった。こうして種痘は、天然痘予防のための画期的な方法として世界中に普及する。
 しかし、それまでも人類は天然痘に対して数々の挑戦をしてきた。種痘が開発される以前から、天然痘患者の膿汁を接種すれば感染が予防できるとの考えがあり、インドでは紀元前1世紀頃より、中国でも10世紀頃から人痘接種が行われていた。しかし、この方法は大変に危険だった。天然痘ウイルスそのものを接種するために、実際に天然痘にかかり死亡する者が、100人中に1人はいたのである。

 天然痘を発病した者に、医師はなすすべもなく、ひたすらに患者の全身状態の改善をはかった。そんな中、積極的な治療法として用いられたのが赤色光線療法である。この療法がいつ頃から存在したか定かではないが、1519年に神聖ローマ皇帝となったカール5世が、幼少時にかかった天然痘を、赤色光線療法で治療したとの記録がある。彼は赤い着衣を纏い、看護人にも同様の服装をさせた。病室の装飾もすべて赤で統一し、赤い光で部屋の中を充満させたのである。赤色光線療法は、この後もヨーロッパで広く実施された。天然痘で壮絶な死を遂げたルイ15世の病室も、赤い光に包まれていたことだろう。

 江戸時代の日本でも、天然痘の患者が発生すると、枕元に赤い絵馬を置いて患者の回復を祈る風習があった。また元録の頃より、天然痘患者の看護人は赤い衣服を着用していたという。このように洋の東西をとわず、古来から赤色は天然痘の治療に効果があるものとされていた。これは天然痘をおこす悪魔が、赤い色を嫌うため、あるいは好むためとする二通りの考え方がある。いずれにしても、古来から世界各地で赤い色が治療に用いられていた事実は、この色が天然痘に何らかの効果を発揮していたと考えざるをえない。さらに不思議なことには、昭和20年代の皮膚科学の医学書にも、天然痘の治療法として「赤い布を病室の窓に掲げると、化膿を軽減し痘痕を防ぐことができる」と記載されているのである(皮膚科学教本:横山右吉、田村一著.鳳鳴堂書店.1946年)。
 この赤色光線療法の科学的な解明は、1903年にノーベル医学賞を受賞したデンマークのフィンセンによって試みられた。しかし彼の実験は失敗に終わり、今もって、赤い光が天然痘にどのような効果をもつのか、謎のままなのである。

7.復活を狙う

 ジェンナーにより種痘が開発されて200年後の1980年5月5日、WHOはジュネーブの総会で正式に天然痘の根絶を宣言した。数千年にもわたり、人間社会に不幸をもたらしたウイルスに、人類は勝利を納めたのである。
 しかし、それは本当の勝利だったのだろうか。正確に言えば、天然痘という病気は消滅したが、天然痘ウイルスは地球上に存在している。公式な保管先は、米国・アトランタの疾病管理センターとロシア・モスクワのウイルス研究所である。これ以外にもウイルスを保有している国が、少なからずあるようだ。また現代の遺伝子工学の技術を用いれば、ウイルスを再生させることは、それ程に困難なことではない。そして今、このウイルスが生物兵器として使われようとしているのである。
 もし天然痘ウイルスが東京に撒かれたとしよう。そこは人口密集地帯であり、流行は急速に拡大するはずだ。このウイルスを吸い込んだ者の80%は天然痘を発病する。そして恐ろしいのは我々の抵抗力である。種痘が日本で中止されたのは1976年のことで、現在の日本人は天然痘ウイルスに全く抵抗力を持っていない。それはヨーロッパ人が侵略する前の、新大陸のインデイオと同じ状況なのである。少なくとも患者の50%近くは死亡することになるだろう。
 冒頭で紹介した「リング」では、天然痘ウイルスがビデオテープを介して感染する方法で復活を果たした。しかし実際の天然痘ウイルスはもっと巧妙である。それは僅か数人の独裁者の記憶に侵入し、彼等の生物兵器となることで復活の機会を狙っているのである。
 病院が遍く赤い光で埋め尽くされるような日を、決して許してはならない。

参考資料
病の克服ー日本痘瘡史 川村純一著 思文閣出版 1999年
地球上から天然痘が消えた日 蟻田功著 あすなろ書房 1991年
ペストからエイズまで ジャック・リフィエ 他著(仲澤紀雄訳) 国文社 1996年
歴史をかえた病 フレデリック・カートライト著(倉俣トーマス旭、小林武夫訳)法政大学出版社 1996年
疫病の時代 酒井シズ編 大修館書店 1999年