• ホーム
  • 基金について
  • 海外医療情報
  • お勧めリンク集
  • よくある質問

ホーム > 海外医療情報 > ニュースレター(機関紙)

ニュースレター(機関紙)

感染症ノスタルジア(2)「悲しみのリング...マラリア」
NL02120102
感染症、マラリア

海外勤務健康管理センター
濱田 篤郎

1.植民地での挨拶
1985年のアカデミー作品賞を受賞した映画「愛と哀しみの果て」の舞台は、1913年のイギリス領東アフリカである。アフリカの大自然を背景にして、農園を経営するデンマーク人女性カレン(メリル・ストリーブ)と、英国人狩猟家デニス(ロバート・レッドフォード)のロマンスが雄大に描かれている。
この映画の冒頭で興味ぶかい会話がある。東アフリカに到着したばかりのカレンが、デニスの友人と挨拶を交わす場面である。
デニスの友人が問いかける。「キニーネは?」
カレンが微笑みながら答える。「ええ、飲んでるわ」
 これだけの会話だが、そこにはマラリアと人類の長い格闘の歴史が潜んでいる。
 16世紀頃よりヨーロッパ諸国は、植民地獲得に向けて世界各地へ船出を開始する。そんな彼等を待ち受けていたのは、壮絶なる風土病の洗礼だった。とくにアフリカ大陸は「白人の墓場」と呼ばれるまでに風土病の巣窟で、その内陸部への道は固く閉ざされていた。こうした風土病の中でも、とりわけ多くの白人の命を奪ったのがマラリアである。
 しかし、19世紀の初頭を迎えて、彼等は幸運にもキニーネという特効薬を手に入れる。この薬の出現により、ヨーロッパ諸国は世界各地の未開地で、植民地建設を加速させるのである。キニーネはマラリアの治療だけでなく、予防にも効果を発揮した。植民地の白人達は毎日キニーネを服用して、マラリアの予防に努めていた。これが冒頭の会話なのである。このような挨拶は、当時の植民地で日常的に行われていたことだろう。
 キニーネの予防効果は大きかったが、副作用が出たり、予防に失敗する者も少なくなかった。「愛と哀しみの果て」でも、冒頭のデニスの友人が、マラリアで死にゆく場面がでてくる。高熱に震えながら彼は呟く。
「尿が黒くなっている」
 それはマラリアの末期である黒水熱の状態を意味した。この時点で彼の体は、リングと呼ばれる指輪型をしたマラリアの病原体で、一杯になっていたのである。

2.イタリアの悲劇

 マラリアは熱病の一つとして、古代ギリシアの医学書の中でも紹介されていた。紀元前3世紀、インド遠征から帰還したアレキサンダー大王は、バビロンで高熱に倒れるが、これもマラリアが原因と考えられている。それから僅か9日目に、稀代の英雄は帰らぬ人となるのである。
 文明社会でマラリアが注目されるようになったのは、ローマ帝国の時代である。イタリア半島には古来からマラリアが存在していた。最初に半島を支配したエトルリア人達も、マラリアには苦悩したようだ。紀元前4世紀、彼等はティルベ川沿いの七つの丘にローマ市を建設する。これは外敵を防ぐ目的とともに、マラリアから逃れる必然性によるものだった。
 マラリアは蚊によって媒介される病気である。それが明らかになるのは19世紀末のことで、それまでは、沼地から沸き上がる悪い空気が原因と考えられていた。イタリア語で悪いはmal、空気はariaで、これがマラリア(malaria)の語源となっている。事実、マラリア患者は沼地の周辺で多発した。これはマラリアを媒介するハマダラ蚊が、沼地で繁殖するためである。だが、当時の人々はそんなことを知る由もない。いずれにしても、人々は沼地に近寄ることを恐れた。ローマ市が丘の上に築かれたのも、ティルベ川周辺の沼地から離れて、悪い空気を吸わないようにする意味があったのである。
 エトルリア人にかわってローマ人がイタリア半島を支配するようになっても、マラリアは各地で流行していた。やがてローマ帝国が繁栄の時代を迎えると、それは大流行の様相を呈するようになる。半島には各地の属国から大量の奴隷が流入してくるが、奴隷の中にはマラリア患者も少なくなかった。さらに繁栄の時代を過ぎた頃から、帝国内では戦乱が頻発し、河川や港湾の整備が滞りがちになる。その結果、半島内には沼地が数多く生まれ、そこがハマダラ蚊の温床となるのである。こうして帝国の末期、イタリア半島はマラリアの高度流行地帯と化していた。この病気が、ローマ帝国の崩壊を加速したとする見方さえある。
 中世のイタリア半島でもマラリアの流行はつづいた。ルネッサンスの夜明けをもたらす、イタリアの詩人ダンテの「神曲」にもマラリアが登場する。この作品は、ダンテが古代ローマの詩人の魂とともに、かつての恋人ベアトリーチェの住む天界を求めて、地獄界、煉獄界、天国を訪れる壮大な旅をモチーフにしている。この地獄編の中で、ダンテは次のように語りかける。
「7月と9月という月に、バルディキアーナの病院にいる病人達を想像してみたまえ」
 バルディキアーナとは、イタリアのトスカーナ地方に広がる細長い谷のことである。現在はのどかな田園地帯となっているが、この谷こそイタリア半島でも屈指のマラリアの巣窟だった。7月から9月という蚊の発生する時期、病院はマラリア患者で溢れ返っていた。その光景は、ダンテにとって地獄そのものだったに違いない。皮肉なことに、ダンテ自身もラベンナでこの恐ろしい病気にかかり、命を落としている。

3.リングの発見
 近世になるとイタリアでのマラリア流行は鎮静化する。そして、この頃から問題になり始めたのが、植民地における感染であった。やがて南米に滞在するイエズス会の宣教師から朗報がもたらされる。すなわちキニーネの原料であるキナ樹皮の発見である。
 この薬草は長らく南米インデイオの秘薬だった。しかし、現地で布教活動をする宣教師達の知るところとなり、16世紀末までにはマラリアの特効薬としてヨーロッパに伝えられる。それから数世紀わたり、ヨーロッパではキナ樹皮に関する様々な研究が行われ、19世紀初頭に有効成分のキニーネが抽出されるのである。キナ樹皮の出現は、死の病であるマラリアから人類が開放されることを意味した。その一方で、この薬草のために、アメリカ大陸やアフリカ大陸での植民地獲得は加速され、先住民達はマラリア以上に苦しむことになるのである。
 キニーネが抽出された19世紀になっても、人々はマラリアが悪い空気からかかる病気と信じていた。ところが、19世紀中頃に微生物学が急速の進歩をとげると、マラリアについても原因を究明する動きがみられるようになる。そして1880年、フランスの軍医ラベランが、アルジェリア人患者の赤血球内にマラリア原虫を発見するのである。これこそ、人類を何千年にもわたり悩ませた、リングと呼ばれる指輪型の原虫だった。1897年には英国人のロスが、ハマダラ蚊によりマラリア原虫が媒介されることを証明し、ここにマラリアは悪い空気でかかるという説が否定される。この功績により、両名ともノーベル医学賞を受賞している。
その後、マラリア原虫には熱帯熱、三日熱、卵型、四日熱の4種類があり、発熱の周期がそれぞれ異なることも明らかになった。この4種類のうち熱帯熱マラリアは最も悪性で、治療をしなければ数日で死亡してしまうのである。
ハマダラ蚊の吸血により体内に注入されたマラリア原虫は、まず肝臓に到達し、そこで暫しの休息をとる。やがて原虫は血液中を流れる赤血球に侵入するが、この状態が指輪型をしたリングである。リングは赤血球の栄養を吸収した後に炸裂し、あげくの果てに赤血球を破壊する。この時期に高熱がおこるのである。熱帯熱マラリアではリングが無制限に炸裂するため、極度の貧血とともに脳や腎臓が荒廃し、そして死が訪れる。熱帯熱マラリアの末期患者の血液を染色すると、そこには無数のリングが輝いている。それは、患者の死が目前に迫っていることを示す、悲しみの輝きなのである。

4.戦争が加速させる新薬の開発
 1998年に公開された映画「シン・レッド・ライン」は、ガダルカナル島での日米の戦闘を描いた作品である。同時期に公開されたスピルバーグ監督の戦争映画「プライベート・ライアン」が大好評だったため、影の薄い映画となってしまった。しかし、この映画の中で、米軍が日本軍の拠点に総攻撃をかけるシーンは圧巻である。日本軍の陣地に突入した米兵達が見たのは、熱で震える日本兵の姿だった。日本兵の多くは、戦闘する以前にマラリアで消耗していたのである。
 第一次大戦を境に、マラリアの治療法は大きな進歩を遂げていた。それまでのキニーネに加えて、合成薬のアテブリンが開発されたのである。こうして迎えた第二次大戦で、日米双方は兵士に万全のマラリア対策を施していた。ところが、日本軍の補給路が米軍に脅かされる事態になると、日本側は前線の兵士まで、マラリアの治療薬を供給することが困難になっていった。これはガダルカナル島だけでなく、太平洋地域や東南アジアに展開する日本軍に共通の出来事だった。各地の日本軍は連合国側と戦闘を交える前に、マラリアにより壊滅していたのである。
 第二次大戦中に米国やドイツでは、アテブリンにかわる新薬の開発に力が注がれていた。その結果、終戦後に登場するのがクロロキンである。この薬はマラリアの治療や予防に絶大な効果を示し、世界からマラリアが根絶される日も夢ではないと思われていた。しかし、1960年代になりクロロキンに耐性のマラリアが世界各地に出現する。これはベトナム戦争の泥沼に陥った米軍を苦しめ、さらなる新薬の開発を加速させる。こうして近年は、ファンシダールやメフロキンなどの薬が続々と誕生している。その一方で、悪賢いマラリアは、それぞれの薬の攻撃を回避する術を、着々と身に付けているのである。

5.森の守り神として
 今もなおマラリアは熱帯や亜熱帯で流行をつづけ、毎年3億人の患者が発生し、150万人以上がこの病気で命を落としている。しかし、マラリアの流行地域は着々と狭められつつある。アフリカでは相変らずの猛威を奮っているが、アジアや中南米では流行地域が郊外に限定されるようになった。日本人が滞在する都市部やリゾートでの感染リスクは、極めて低くなっている。
 現在、マラリア研究者達の最大の関心事は、ワクチンの開発である。何千年にもわたり、人類の脅威であったマラリアに有効なワクチンが完成すれば、これは人類史上最大の業績の一つになるだろう。しかし、マラリアが地球上から消滅して、果たして人類は本当に幸せになれるだろうか。
 少なくとも、この病気により奪われる毎年150万人以上の命が救われる。また、病気で仕事が出来なかった人達が元気に働けるようになり、熱帯や亜熱帯での労働力は飛躍的に上昇することだろう。しかし、熱帯や亜熱帯の国々は、現在でも深刻な人口問題や失業問題に悩んでいる。マラリアの消滅は、この問題を一層深刻なものにするだろう。
 さらに私は、もう一つの大きな環境問題を危惧している。現在、地球上の森林の大部分は熱帯や亜熱帯に存在しているが、そこはマラリアの流行地帯でもある。もしマラリアに感染する危険がなくなれば、人々は今迄以上に森林の奥深くまで立入り、それによって森林はさらに破壊されるだろう。その結果、地球の温暖化はますます加速されるはずだ。
 私はマラリア根絶に向けた研究を否定するわけではない。そういった研究とともに、消滅後の人口問題や環境破壊についても、検討する必要があると考えるのだ。キナ樹皮がヨーロッパに伝えられた時も、当時の人々は「これでマラリアから救われる」と大喜びした。しかし、この薬のために、アメリカ大陸やアフリカ大陸の先住民は、大変な被害を蒙ってしまった。歴史の教訓を忘れてはならない。
 世界各地に「森の守り神」の伝説がある。森に立ち入ると神の怒りを招く。だから森に入ってはならない。この種の伝説である。私はふと思うのだ。マラリアというのは、地球が使わした森の守り神ではないかと。

参考資料
1)「世界史の中のマラリア」 橋本雅一著 藤原書店 1991年
2)「ペストからエイズまで」 ジャック・リフィエ著(仲澤紀雄訳) 国文社 1996年
3)「歴史をかえた病」 フレデリック・カートライト著(倉俣トーマス旭、小林武夫訳)法政大学出版社 1996年
4)「マラリア・ノスタルジア」 濱田篤郎著 はらのむし通信(目黒寄生虫館)181号 3-10 2001年
5)「旅と病の三千年史」 濱田篤郎著 文藝春秋社 2002年