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ニュースレター(機関紙)

海外巡回健康相談に参加して(東欧)
NL02090103
東欧、医療事情

九州労災病院副院長
加茂 洋志



◆東欧5カ国を巡って

 フランクフルト経由にてブルガリアの首都ソフィアに至ったのであるが、まずはここでの失敗談から。フランクフルトの街を案内してもらった木村氏から今はホワイトアスパラが旬だと教えてもらい、夕食のときレストランでフルコースにホワイトアスパラを追加した。直径2センチぐらいの太さで長さも20センチのものが一人5本づつでたのである。前菜、スープ、アスパラを食べるとすでに腹いっぱいになり、ステーキは一口か二口しか食べれなかった。最初にして食事は二人で一人まえでよいという貴重な学習を行い、これからの旅に多いに役立ったのである。

◆ブルガリアにて

 ソフィアは15℃と寒く空港は田舎の飛行場を思わせた。ビルの外壁は至るところで剥げ落ち日本では崩落事故として騒がれそうである。車は旧共産時代のおんぼろが走りまわっていた。水道水は高い山があるので質は良いらしいが水道管が錆びているため生水は飲めないという。食事はまさにヨーグルト漬けであったが極めつけは目玉焼きがヨーグルトに浮いていた。何とか卵だけをすくってたべた。ブルガリアの対日輸出の一番は黒海産さざえとのことであったが日本の漁業組合からクレームがつき、さざえの名称は使えないとのこと。ピロゴフ救急病院を見学。病床数1,005に対し医師500、看護士1,000、その他800、急患で来たときは無料とのこと。ブルガリアの病院でさえこれだけの従業員がいるのに世界に冠たる医療制度を誇っている我が国ではその半分以下である。

◆ルーマニアにて

 ブカレスト空港に着いて税関を出るとミニスカートのピチピチギャルの出迎えを受けた。カジノの客引きであったがブルガリアの質素さと比べると街の雰囲気にも明るさを感じた。私はルーマニアと言えばコマネチを想いだすが、やはり美人が多かった。それも20歳過ぎ迄である。その年を過ぎると今のコマネチを思えばよい。街中にはギリシャ料理やイタリア料理の店もあり、近代化された部分と旧共産時代が混在していた。日本国大使館は旧時代の趣を残していた。

◆ポーランドにて

 ポーランドの冬は零下20度になるとの事であったが今は暑い。かなり北へ移動したのに気温は30度以上だった。ワルシャワの旧市街地の広場ではその一面にコカコーラの宣伝の垂れ幕が懸かっており、その異様さにびっくりしたがこれは工事中のビルの覆いであった。また中央駅近くにあるスターリンから送られた文化科学宮殿ではホンダの車の広告で埋められていた。スーパーマーケットに行ってみるとその品揃えは日本と変わらず生活レベルが前2カ国よりかなり上である。物価は日本よりかなりやすい。

 ショパンの生家で聞いたピアノ演奏は旅人の心を和ませてくれたが、それよりもその帰りに寄ったドライブインの食事がうまかった。プラハには日本食レストランも数軒あり、この国の食事は日本人の口に合い、我々はこの旅で初めて食事に満足することができた。この日、ワールドカップで日本がロシアに勝ったとの情報あり、さらに満足。

 この国ではさくらんぼが多く、日本人学校の庭にも鈴なりであった。我々はホテルの近くにある露店までさくらんぼを買いにいった。日本の露店とはそう変わらないテント架けの店でその主はかなりの年のじいさまである。我々が行った時、客が7人ほど並んで待っており我々もこの列にくわわっていたが、じいさまは商売気がないのか客を待たせたまま、商品の並び替えや値札付けに余念がない。目指すさくらんぼは日本風の薄いピンクのものと濃い赤の洋チェリーの2種類があり、日本風のほうが少し高い。やっと順番がきていざ買うときになって言葉が通じない。しかたがないので5ボォルテ硬貨をだしてこれだけと言うと通じたらしいが、1キロが3.5ボォルテ〔420円〕である。じいさま紙に書いて計算していたが難しかったらしい。やおらポケットから計算機を取り出したのである。外国人に良いところを見せようとしたのか、正確にと思ったのか。なんとかサクランボを手に入れたが食べるときになって困った。洗っても水道水は飲用ではないし、洗わずに食べるとじいさまのささくれた大きな手である。結局、すぐ食べたい誘惑にまけて、じいさまの手を信用したのである。

◆チェコにて

 プラハの路は石畳が多い。車はゴトゴト揺れるし歩くと躓きやすいが、雨が降ると水がよく吸収されるときいていた。ところが、この旅行記を書いている時、東ヨーロッパ大洪水でプラハの動物園が流されたりで大変なようだ。プラハの旧市街地を歩いていると地下室が多いのに気がつく。これは度重なる洪水で1階部分が埋まり2階が今の1階となり、昔の1階が地下レストランなどに利用されていた。昔から洪水に悩まされていたようだ。

 プラハの旧市街を歩いていると中世にタイムスリップしたような錯覚をえた。それは11世紀以降建てられたゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式など時代の異なる建物が混在していたからであった。

◆ハンガリーにて

 「美しき青きドナウ」を想像していたのに、褐色に濁った流れを見て少しがっかり。その代わり鎖橋と王宮を望む夜景は川面に映えて感動ものであった。川の流れは速く水量は豊富である。ドナウ川はドイツの黒い森林地帯に源を発し、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、セルビア、ルーマニアを経てウクライナで黒海に注ぎ込む全長2,900kmの多国籍河川である。そのために汚染問題が深刻となっており、各国の調整がつかず有害物質が流れていると言う噂が絶えない。

 ブダペストの街はドナウ川によってブダ側とペスト側に分けられており、建築物は中世と現代が混じっているにも拘らず違和感を覚えない不思議な街である。またこの街には温泉が多いことで知られており、我々もこの旅の最後の汗を流すべく入浴してみた。入浴料を払って中に入るとふんどしみたいなものを貸してくれた。これを腰に巻いて浴室へ行くと、温度差のあるふたつの浴槽やスチームバス、サウナ、シャワーがあり、日本みたいな洗い場はない。鉱泉なのでヌルヌルした感触はない。出てくるとバスタオルならぬシーツをかしてくれる。これで身体を拭くのであった。

 以上巡回した5カ国について聞いたことや感じたことを記してきたが、最も驚いたのは夕食が済んで9時過ぎにレストランを出ると外はまだ明るい。夜は10時頃やってくる。これらの国の人々は短い夏を満喫しようと、夜遅くまで屋外で過していた。それにしても暑かった。ブタペストでは気温37度である。またこの5カ国には駐車場がない。すべて路上駐車であり、車の数は増えるばかりで、今後どうなるのであろうか。

◆医療事情について

 ブルガリアではピロゴフ救急病院を視察することができた。設備はかなり老朽化しており備品も古い。車椅子は大きく高く、乗り降りに不便で、イタリアの新聞記者に第一次世界大戦時の前線病院並みだと酷評されたらしい。医師の給料が安いため、欧米で教育を受けた優秀な医師は殆ど国外に出稼ぎにいっており、医療の質の低下が問題になっていた。日本人は、緊急時のみしかたなく現地の病院を利用し、普段はウイーンまで飛ぶそうである。

 ルーマニアもほぼ同様の状態で、日本から援助を受けた高度医療機器は使いこなせる医師がいないため埃を被っているらしい。

 ポーランドではダミアン医療センターを見学。この病院はプライベートクリニックで会員制をとり英語での対応が可能で設備もととのっており、プライベートな面でも濃やかな配慮がなされ、日本人の信頼の厚い病院であった。

 チェコ、ハンガリーは近くEU加盟を目指しているだけに医療情勢は、さらによくなっているが、言語の障壁がある。ここでもプライベートクリニックの方が英語が通じ掛かりやすいとの事。

 5カ国に共通していることは、どの国も寒暖の差が激しく、乾燥しているため呼吸気系の疾患にかかりやすく、その予防に気を配る必要がある。しかし日本人学校の児童の喘息は少なかった。また注意すべきことは薬の量が日本人にとって多い事である。日本人には処方量の半分で良さそうである。メンタルヘルスの問題は検診の時、表面には出さないがかなり深刻のようである。メンタルヘルスのスコアーを気にする方が多いのと、我々との会話での饒舌さが逆に、異国で仕事を成功させることのストレスをものがたっていた。