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ニュースレター(機関紙)

海外巡回健康相談に参加して(インド)
NL02060103
インド、健康管理

海外勤務健康管理センター 健康管理部
打越 暁


【はじめに】

 近年、社会・経済のグローバル化に伴い、海外へ赴任する勤労者の数は増加している。在留邦人統計によると海外渡航者数は1,700万人を超え、長期滞在者数も2001年は過去最高の83万人に達している。

 労働福祉事業団は、海外派遣労働者とその同家族の健康管理を目的に、発展途上国を中心に医師、看護師らで構成するチームを年間14チーム派遣している。今回私はそのうちのインドチームに参加した。インドチームの巡回地は首都ニューデリーをはじめムンバイ(旧ボンベイ)、コルカタ(旧カルカッタ)、ハルディア、バンガロール、チェンナイ(旧マドラス)の5カ所で、2月2日から22日までの3週間の行程であった。巡回にあたる数カ月前にニューヨークの同時多発テロが勃発、アメリカのアフガニスタン侵攻で、中東情勢は不安定、インドも隣国パキスタンと国境線で緊迫した関係となっていた。デリーをはじめ、インドの都市部では爆弾テロ騒ぎが相次ぎ、外務省の海外渡航者情報でも一部の地域では避難勧告が出されるなど、緊迫した情勢の中での出発であった。

【インドの社会・文化・宗教】

 インドは人口10億と中国についで世界第2位を誇る大国、宗教もヒンデゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教、シーク教など多宗教多民族の国家である。インダス川流域に起こった世界4大文明の一つインダス文明によって歴史が始まり、アーリヤ人の侵攻等、統一・分割を繰り返しイスラム教の支配を経て19世紀イギリスの植民地化、1947年に独立をはたした国である。街中にはイギリス当地時代の建造物が今も数多く残っている。

 インド社会には、現在は法律で禁止されてはいるものの厳格としたカースト制度が根強く残っている。貧富の差が激しく、町の到るところに薄い板やビニールで仕切っただけの家が立ち並び広大なスラム街を形成する。信号待ちの車や外国人を取り囲み物乞いをする人々。中には小さな子供も混じり、無気力な表情で金をねだる。その一方で巨大な邸宅に住み、王侯貴族のような生活をするものもいる。醜いものと豪華なもの、汚いものときれいなものが渾然一体となっており、初めて訪れるものを圧倒する。厳格なカースト制度が、下層階級の人々の向上心や競争心を奪い、無気力となった人間は犬猫などの動物と変わらぬ生活をする。

【インドの在留邦人】

 インドに住む日本人は、各都市ごとに多少の違いがあるものの、金融、商社勤めの方が多い。近年、インドの産業は大幅に発展し、特にIT産業に力を入れている。急速に外国企業の受け入れを行っており、人件費も安いことから多くの企業が進出してきている。停電が多く、下水道の整備がされないなど、産業の発展にインフラ整備が追いついていないなど問題も多い。

 首都デリーには約1,000人、ムンバイ、カルカッタなどの大都市には200~300人程度の邦人が住む。インドは、好きになる人と嫌いになる人と両極端に別れると聞く。実際こちらに赴任されて間もない人と、長期赴任されている方で大きくインドに対する認識が異なっているという印象を受けたが、はじめは皆一様にインド人の考え方、風俗、習慣になじめず、ストレスを感じる方が多い。長期間住んでいる方々は、そのような異文化から生ずる行き違いにある程度寛容になり、むしろこちらのほうが、人間が穏やかで住みやすいとする人も多い。現地人のまかないを雇っている場合が多く、家事全般をまかせている。御婦人方のなかでは、このようなサーバント社会になじめず、家事をやらなくてよいなどの利点がある反面、逆に負担となり、ストレスをためる場合もある。

【インド在留邦人の健康問題】

 インドに住む日本人は一般に健康で、皆明るく元気であったが、いくつかの健康管理上の問題がわかった。

 運動不足や食生活の変化から、邦人が生活習慣病に罹患するリスクは高い。買い物など気軽に出歩ける場が限られ、ほとんどが運転手つきの自動車で移動をしている。治安の問題や大気汚染などの問題は邦人の行動範囲を大幅に狭めている。運動する場も、ゴルフ場やテニスコートに限られるが、気温が40℃近くなることもあり、過酷な環境での運動指導は実際問題として難しい。単身赴任者も多く、食事が単調になり、アルコールの量も増えて生活習慣病の増悪する方もいる。食事は外食が多く、特にインド料理は一般に油を多量に使用し、香辛料も強い。インド人はもちろんインド料理を毎日食すわけだが、インド人の動脈硬化、血管性病変は一般に高いといわれている。インド人口の8%が糖尿病に罹患し、心臓病手術の件数が非常に多い。インドでは心臓外科医が繁盛し、一つの病院で日本の全心臓手術数を超えるほどの手術をこなすところもある。インド人の平均寿命は男女ともに57~58歳と短く、若年者でも非常に老けて見える。

【巡回健康相談結果】

 今回の巡回相談では合わせて400人弱の方の健康相談を行ったが、小児、成人ともに多くの方がのどの違和感、長引く咳嗽を訴えていた。小児では気管支喘息などの気管支肺疾患、アトピー性皮膚炎など皮膚疾患、結膜炎などの眼疾患が増悪するものが多く、乾燥し汚染された空気、気温40℃近くなる過酷な気候など、小児の肉体に深刻なダメージを与えている。

 乳幼児を抱える母親は一様に不安感を抱えながら生活されている。現地に信頼できる医療機関が少ないことが主な要因であるが、まわりに育児に関する相談者が少ないことも挙げられる。また生理不順や更年期障害など婦人科的悩みも意外に多い印象を受けた。

 感染症という点ではインドは、すべての感染症があるといわれるほど感染症の宝庫といえる国である。狂犬病、HIV感染者、結核の死亡者は世界一、1994年にはペストが流行、新たなコレラ菌も発見されている。インドを旅行する30~40%は2週間以内に下痢を起こすとも言われており、実際インドに赴任される方のほとんどがひどい下痢を一度は経験している。特に4~10月の暑く雨の多い時期に多く発生する。

 現地邦人の方は、生水や生物に対する注意は十分されている。中にはミネラルウオーターを煮沸したり、洗濯にもミネラルウオーターを使う方もいると聞く。現地邦人の方のなかには、販売されているミネラルウオーターをすべて調査し、安全性が高いいくつかのミネラルウオーターを推奨しているが、なかには井戸水を汲んで密封処理をして出荷するなどのまがい物も出回っており、けして安心は出来ないとのことであった。インドの下水道はほとんど整備されておらず、モンスーン期の大雨で井戸水に汚水が混入し、コレラなどの感染症が流行する原因となっている。

 現地邦人の方のなかには下痢対策としてニューキノロン系の経口抗生剤を持参されている方も多いが、近年耐性菌の出現が報告されており、処方する医療者側も注意が必要である。

 インドの街中には薬局が多いが、インドの薬は一般に大型で日本人にとっては効き目が強すぎるという印象がある。インドで処方を受け、貧血などの副作用で日本に緊急帰国した例もあれば、こちらの薬のほうが効き目が早く下痢も一日で治ると好んで常用されている方もいる。

 インドの気候は北部と南部で大きく異なるが、一般に雨季(モンスーン期)と乾季に分けられる。雨季と乾季の間、高温多湿な時期に蚊が大量発生しやすい。ネッタイシマカに媒介されるデング熱にかかる方が多く、重篤な場合死亡する例もある。1997年の流行時にはインドで約500名が死亡している。マラリアも依然多く、デリーやコルカタなどの都市部でも多くなってきている。幸い今回の受診者の中にマラリアに罹患したことのある方はいなかったが、雇っていたインド人従業員が罹患したなどという話はしばしば耳にする。

 性行為感染症、特に近年ではHIV感染症が大きな問題となっている。WHOの推計ではインドを含む南アジア、東南アジアの成人の0.69%がHIVに感染しており、実数はそれを遥かに上回るという。大都市部には風俗街があり、多くの娼婦が路上で客引きをしている。女性の場合、夫と死別後、宗教上の理由で再婚が許されない場合が多く、娼婦に転じる者もいるという。トラック運転手などの長距離ドライバーのHIV感染者が多いという話も聞く。

 インドの医療は一般にレベルは高く、欧米などで医学を学んできている医師が多い。現地の病院で帝王切開を受けた方は術後の経過もよく、日本で同様の手術を受けたときよりも入院期間が短く、傷口も小さかったと、インドの医療レベル、システムの良さを教えてくれた。ただし国立病院と私立病院では医療レベルや設備の点で大きな差があり、金持ちがよい医療を受けられ、貧しい者は非常に劣悪な環境の病院に収容され、十分な医療を受けられない状況にある。

 今回の巡回の合間にインドの病院を6箇所ほど見学をしたが、私立の病院は医療機器、施設が充実し、医師が指名制など日本の一般病院を上回るサービスをするところもあった。その一方で、コルカタ(旧カルカッタ)に近い国立の病院は、インド全国から感染症、特にコレラやチフスの患者がほぼ無料で診療をうけられるという通称下痢センターと呼ばれる病院で、さび付いたバイプベッドに薄いビニールシートがしかれ、ハエのたかる毛布をかぶる患者が横たわる光景は、目を被いたくなるような惨状であった。日本のようにどの病院でもほぼ同じレベルの医療が受けられる国とは事情は全く異なる。

 その他いくつかの点で日本の医療との違いがあるが、主なものとしてはコミュニケーションや言葉の問題、清潔観念の違いなどが挙げられる。現地の病院で苦心して自分の病状を説明するぐらいなら、すこし我慢して日本に帰国時に受診したいという方も多い。シンガポールやバンコクも飛行機で数時間と比較的近く、日本人コーディネーターがいることなどから、買出しのついでに健康診断をうける方も多い。

【インドの大気汚染と健康被害】

 インドの大気汚染は深刻で、前述のごとく現地邦人の中には慢性の咳嗽や上気道炎を繰り返す方も多い。10分ほど外を散歩すると顔は真っ黒になり、眼やのどが痛くなる。特に湿度の低い北部の都市部では空気が乾燥し砂塵が舞う。都市部の交通量は半端な数ではなく、自動車やオート三輪、オートバイ、自転車、人間、牛、犬がほとんどルールなく道路を埋める。日本国内でも東京をはじめ自動車の排ガス規制が叫ばれているが、インドの大気中浮遊粒子状物質の測定では、日本の基準をはるかに越え、デリーはWHOの指摘する世界で最も大気汚染のひどい都市の一つとして挙げられている。ある報告では大気汚染に伴う呼吸器疾患で死亡する人は年間5万2千人にも昇り、そのうち首都デリーでは1万人が死亡している。近年やっとデリーで排ガス規制法が可決され実施する予定であったが、バスやタクシー業界などからの圧力で中座している状態であると聞く。インド政府が中心となって抜本的な対策を行わない限り現状は改善することはないと思われる。

 今回、アンケート調査を行ったところ、成人全相談者の約30%が、咳、痰、のどの痛みなどの上気道炎症状を訴えており、多くの方がインド赴任後に症状が出現し、外出なども制限されていることがわかった。さらにうがい薬や上気道炎症状に対する薬の入手に困難感を抱いていることも分かった。今後インドをはじめ発展途上国に赴任する邦人の呼吸器疾患への対策も重要と考える。

【終わりに】

 今回インド巡回健康相談を通して、食生活の変化や運動不足から来る生活習慣病、大気汚染や過酷な気候に伴う呼吸器疾患や皮膚疾患などインドの在留邦人が抱える医療問題が明らかになった。その他海外勤務者や帯同家族の抱える健康上の問題は山積しており、今後今回の体験を踏まえ海外勤務者および帯同家族の健康管理に生かしたいと考えている。