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ニュースレター(機関紙)

海外巡回健康相談に参加して(インドネシア)
NL02040104
インドネシア

秋田労災病院 
上里 信夫 


 真冬の秋田北空港から羽田経由で成田のホテルに着いた。日はすっかり暮れ、同行する皆さんは既に到着しディナーを取りながら、打ち合わせに入っていた。「海外邦人の健康相談って一体何?」と思いつつ、学童検診程度の経験しかない私にとって、海外での健康相談がきちんとやれるのか、かなり不安であった。

 翌2月4日JAL.719便でシンガポールへ向かった。約8時間のフライトであった。手術での8時間は集中しているためか長く感じないが、8時間の座りぱなしは辛かった。機内での綺麗な客室乗務委員がすすめてくれたワインはおいしかった。やっと着いたシンガポール空港ターミナルはきれいな熱帯の蘭でいっぱいであった。少し疲れも癒され、気持ちが和んだ。ここでメダン行きの飛行機に乗り換えるのだが、第二ターミナルビルまでは遠く、かなり歩くはめになった。時間に余裕があって本当によかった。やっとSILK・LINE機に搭乗し、ここで初めてインドネシア料理にであった。かなりスパイスの効いたナシゴレン(ドライカレー)に似た食事だった。お米の国秋田でいつも食べている御飯とはまったく異なっており、少し口に合わなかった。

 そうこうしている間にメダン国際空港に到着した。空港ターミナルの中は異様であった。ターバンを巻いた現地人々が大勢おり、荷物を運びたがっていた。ここでのチップ(1,000~2,000ルピア)だけでなんとか生活しているようだった。インドネシアもかなりの不況で、30%を超える失業率らしかった。

メダン

 宿泊したホテルの周囲には、かなりりっぱな豪邸が立ち並んでおり、屋根には放送局で見かけるような巨大なパラボナアンテナがのっていた。大半の家が高い塀で囲われ、なかには警備員を置いている家もあった。これらのほとんどが華僑の住宅とのことであった。現地の日本人会の皆様にお世話になりながら、どうにか初めての健康相談会に望んだ。治安の悪さや食生活習慣にストレスを感じながらも邦人の皆さんは、元気であった。企業から派遣されている男性の大半は、半年ごとに帰国する折に人間ドックを受けており、健康面ではおおむね大丈夫であった。一方一緒に付いて来ている奥さん方の多くが、異教の地にストレスを感じているようであった。朝4時から近くのムスクから流れるコーランには、まいっているようであった。しかし、中には、ジャカルタで出産し、子育てにがんばっている邦人の女性達もいた。ここメダンから車で8時間も離れた街に住み、この相談会に駆け付けてくれた、現地人と結婚している女性もいた。

 一緒に付いて来たお子さんも、健やかに成長していた。立派に思えた。生活環境面では、水や衛生環境にかなり問題があるようであった。特に飲料水は、アクアと呼ばれているミネラルウォーターのみで、氷も感染面で危ないとのことであった。生野菜(サラダ)は、まったく食べない邦人が多かった。これらのことは、生活習慣病の予防面からは、かなり問題のあることであった。疾病に関する情報は、みなさんインターネットで得ている方が多く、内容もしっかり理解していた。常備薬品は、ほとんど日本から持って来たり、送ってもらっていた。これから乾季になり、焼き畑農業の山焼きで空気が汚れるのを、みなさん心配していた。なかには、常備薬の補充にイソジンガーグルやトローチ、総合感冒薬を希望する方もいた。

 メダンでの相談を終え、シンガポールへ移動した。当日は楽しい買い物日になる予定であったが、空港の税関(Custom)でトラブルがおきてしまった。なんと携帯薬品の持ち込みを禁止されてしまったのだ。ここで没収されたら、後3都市の健康相談に支障が出てしまう。同行の事務スタッフが慣れない英語で必死に交渉し、なんとか没収はまぬがれた。しかし、ホテルに持ち込むのは、禁止され、国立病院の薬局(DR.コウ)にあずかってもらうことになった。この問答に約5時間もかかり、疲れ果ててしまった。Shoppingや市内探索はあきらめた。気を取り直して出かけたSUN・SETクルージングで、マーライオンを船上からみた。大きかったー。顔はライオンで、下半身は、魚であった。マーは人魚のことだと教えてもらった。

バタム

 翌日フェリーでバタム島に移動した。高速フェリーはほとんど揺れず快適であった。バタム島に着いて驚いた。なんと軍人が2~3人づつ裸の自動小銃を担いで立っているではないか。その側をおそるおそる通った。バタム島は日系の企業、特にIT関連の企業が多く、我が国同様不況の風も強いらしかった。現地の人たちは、解雇され、職もなく路上でたむろしていた。島の中心道路であるNAGOYA通りでさえ、かなりゴミゴミしていた。島の山々は、土地開発中で赤土がむき出しになっていた。ここでは驚く程タクシーが多かった。古いほとんど壊れてしまっているような車もあり、しかもタクシーとして利用されていた。現地の地理や言葉に堪能でなければ、利用するのは危険らしかった。

 治安の悪さもあり、邦人の方々は単身赴任が多く、ほとんどホテル住まいであった。ホテルでは、日本食も用意されていた。邦人の方々は、皆仲が好く、元気いっぱい、やる気いっぱいであった。相談にみえた邦人の方々の健康状態はおおむねよく、みなさん半年おきの帰国の際に人間ドックをうけているらしかった。一人糖尿病の疑いがある方がいた。自覚症状はなかったが、一度精査するように勧めた。みなさん急病のおりには、シンガポールの病院を利用していた。現地の病院は医療レベルや言語の面で不安らしかった。

 ここでの生活面でも、水や衛生環境は悪く、飲料水はアクアと呼ばれるミネラルウォーターであった。やはり生野菜(サラダ)はほとんど取られていなかった。運動不足、食生活の面からやはり、生活習慣病が気がかりであった。

 運動不足解消にゴルフを楽しむ方々も多かった。ゴルフ料金は非常に安く、週末に4~5ラウンドもやる方もいた。内心羨ましかった。

 これから乾季に入り、スマトラ島の焼き畑農業が始まると、空気がさらに汚れ咽を痛めると心配している方も多かった。やはり、イソジンガーグルやトローチを希望する方が多かった。

スラバヤ

 次にスラバヤ市へ飛んだ。東部ジャワ州の中心都市である。なんとびっくりするほどバイクの多い街であった。治安の面はやはり不安があるようであった。元気の塊で、物知りの教頭先生がいて我々の面倒をみてくれた。スラバヤの日本人学校の子供達は本当にみんな明るく、仲良しであった。上級生がやさしく下級生の面倒をみながら楽しく学校生活していた。

 健康面では、子供達の肥満傾向が気になった。子供達の家での遊びはTVゲームが多いようだった。海賊版のソフトがかなり安く買えるらしかった。治安が悪いので、外で遊ぶことはもちろん、散歩すらできないようだった。学校だけが思いきり走りまわれる場所だと説明された。ここでも子供達の間では、サッカーが盛んのようだった。育ち盛りの子供達にとって、自由に走り廻れる環境は大事に思えた。移動の途中で、こぎれいなバイクにのっている一団に会った。日本だと暴走族の一団かと思ってしまうが、なんとこの一団は少年スポーツ団の子供達で、先頭には警察官がアルバイトで警備にあたり、誘導しているとのことであった。「ここの子供達に有事の時どうする?」と尋ねるとみんな「ホテルに逃げる!」と答えるらしい。なぜなら、ホテルでは、いざというとき軍隊を雇いガードを固めるということで一番安全であるらしい。日本では想像できない社会であった。ここでは、児童検診も併せておこなった。二日間にわたって行なわれ、結構疲れた。子供達の一般検診では、特に問題のある子や、難しい相談はなかったが、ほとんどが、月に一度は下痢してしまうとのことであった。

 学校の保健室にも常備薬があり、大半が昨年の健康相談チームが置いていったものであった。今回もいくらか補充した。シップ、虫刺され用の軟膏(ムヒS、アンダーム軟膏)、また虫刺されの跡がかなりひどく腫れてしまうため、リンデロンVG軟膏、ゲンタシン軟膏も希望された。学校の教師の中には、スラバヤ・インターナショナル総合病院で健康診断をうけ、そのデーターの説明を求めるかたもいた。結果はみなさんWithin・Normal・Limitsであった。

バンドン

 最後の健康相談都市はバンドン市であった。第一回A.A会議が行なわれた都市である。ここは本当にきれいな街であった。標高800メートルの高原にある緑豊かな学園都市で、29もの大学があるとのことであった。街なみも白い壁が多く、大きな街路樹の緑によくマッチしていた。ここはオランダ時代から避暑地として観光の中心地であったようだ。少し山の方に移動すると、いろいろな花々が栽培され、道路の両脇にズラリ並んでいた。実にきれいな、ホッと出来る場所であった。ここバンドン市での健康相談は、日本人学校の幼稚園の園舎をかりて行なった。ここでも児童検診も併せて行なった。子供達の一般健診では、問題のある子はほとんどいなかった。大人は日本人学校の先生やJICAの酪農指導者が大半であった。皆さん年に一回ジャカルタの病院で健康診断を受けていた。相談者は、みんなそこでの英語で書かれた報告書を持参してきた。その内容は一般診察、採血の結果、検尿の結果、胸部レントゲン写真、心電図などであった。バンドン市での邦人の健康状態はおおむね良好であり、なかには日本でアトピー性皮膚炎に悩まされていた子供がここでは、ほとんど湿疹もなく、掻爬跡もなくなったと喜んでいる子もいた。空気の良さがもたらしたものと思われた。生活面では、水や衛生環境は、やはり安心できず、ミネラルウォーターのみが飲料水であった。治安の面でも、ここバンドン市は多少良かった。そのためか皆さんのストレスも他の都市に較べ少ないように思えた。我々も久々に街路樹の下を散歩することができた。邦人がよく利用するスーパーを覗いてみた。実に多くの日本の商品が並んでいたが、なぜか賞味期限が消されていた。

 休日を利用して、市内にあるボロミウス総合病院を見学させてもらった。オランダ時代の古い建物が利用されていた。クリスチァン系の病院で、中庭にマリア様の像がかざってあった。救急外来は、慌ただしく込んでいた。下痢で体力を消耗し衰弱した人や、怪我した若者らが運ばれて手当てを受けていた。外来医はみなさん市内で開業しながらパート的に診察しているとの説明であった。患者の割り振りはベテランの看護婦さんがやっていた。入院病棟も見せてもらった。入院病棟も、主治医も、患者の支払い能力により、三段階に別けられ、しかもつかう注射薬や内服薬も違うらしかった。日本ではまったく考えられないことであった。五階病棟は、すべて特室になっており、一日一万円程度の部屋でVIPコースの病棟であった。邦人は、万が一入院する場合はこの病棟を利用するようであった。保険は日本の海外旅行疾病傷害保険が使えるようであった。院内の清潔感は、予想以上によかった。

総括:今回の健康相談で多くの邦人に出会い、またお世話になった。いろんな地域で邦人が頑張っている姿、やる気一杯の姿勢には、ただただ感服するのみであった。飲み水、治安など本当に日本は恵まれていると痛感した。